《 今やその時である》
ヨハネによる福音書 5:19〜30
はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へ移っている。はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。父は、ご自身の内に命を持っておられるように、子にも自分のうちに命を持つようにしてくださったからである。また、裁きを行う権能を子にお与えになった。子は人の子だからである。驚いてはならない。時が来ると墓の中にいる者は皆、人の子の声を聞き、善を行った者は復活して命を受けるために、悪を行った者は復活して裁きを受けるために出て来るのだ。
わたしは自分では何もできない。ただ、父から聞くままに裁く。わたしの裁きは正しい。わたしは自分の意思ではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行おうとするからである。(ヨハネ5:24〜30)
わたしたちは、聖書を通して、神の御子イエス・キリストの言葉を聞きます。そして、神の子の言葉を聞くものは生きると言います。
「死んだ者が、神の声を聞く時が来る。今やその時である。」ここで言われている死んだ者。それは、かつて生きていて、死んでしまった者ではなく、現在生きていて、なおかつ死んでいる者たちのことです。
ルカによる福音書15章に二人の息子を持つ父の話があります。息子(弟)は、相続財産を奪い取るようにして出て行って、好き勝手に生き、財産を使い果たして、父親のもとに帰りました。父親は自分のもとに帰ってきた時に、「この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。」(ルカ15:24)と告げています。息子は、死んでなどいないのです。しかし、父親からしてみれば、彼は音信不通で、行方不明の息子、失われた息子、死んでしまった息子でした。しかし、その息子が、自分のもとに帰ってきた時、父親は、その息子が生き返ったというのです。
神さまから見て、行方不明で、音信不通。それは、肉体的に生きていたとしても、死んだ者です。神の御子イエス・キリストは、この死んだ者たちに語りかけるのです。そして、このお方の言葉によって、神のもとに立ち帰り、生きるのです。
わたしたちも、神の前から迷子になり、失われていた者、死んだ者でした。しかし、今日、わたしたちは、主イエス・キリストの言葉を聞かせていただきました。わたしたちが、いまを生きることができるのは、神の子イエス・キリストの言葉によってです。
しかし、今この時、耳を塞いで、聞かないなら、今日も神の前では、失われた者、死んだ者です。
キリストは、失われた者、死んでしまっている人たちを前にして、ご自分の意思を追及されるのではなく、自分を遣わしてくださった父なる神さまの意思を追求し、御言葉を語られました。
【祈り】
天の父なる神さま。聖書を通して、御子イエス・キリストの言葉が、今わたしたちのうちに響いています。主よ、あなたからいただいた体と恵みを用いて、好き勝手に生きて来たわたしたちです。わたしたちは、死んでいるものでした。けれども、今、あなたの御言葉によって、父なる神さまの前に引き出されました。どうか、わたしたちに、永遠の命を与えて、この世にあって、あなたからいただいた体と恵みをもって、善を行うことができるようにしてください。主の御名によって、お祈りします。アーメン。
(2021年2月21日 橋本 いずみ )