2021年3月21日主日礼拝説教

《 少しも無駄にならないように 

ヨハネによる福音書   6:1〜15

イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で十二の籠がいっぱいになった。

(ヨハネ6:10〜13)

過越祭には、神さまの救いの出来事を思い起こし、家族で食事をしていました。過越の祭りが近づいてくるときに、イエスさまは、弟子たちと一緒に山に登り、男だけでおよそ五千人。女性や子どもたちを含むと更に大勢の人々を不思議な方法で養われました。

 イエスさまが、わずかなものを用いて、大勢の人々を養われたことは、どの福音書にも(マタイ14:13-21、マルコ6:30-44、ルカ9:10-17)記されていることです。五つのパンと二匹の魚で、五千人の人が満腹するというのは、普通では考えられないことです。

 イエスさまが弟子たちに命じたことは、「人々を座らせなさい」「少しも無駄にならないように、残ったパン屑を集めなさい」ということでした。そこにはたくさん草が生えていた。荒れ野ではなく、潤された土地でした。草原に人々は座り、イエスさまが分け与えてくださるものによって、満腹になりました。他の福音書では、弟子たちに渡して、彼らから人々は受け取ったように書かれていますが、ヨハネによる福音書は、イエスさまが直接分け与えておられます。座らせさえすれば、イエスさまがその人たちを恵みで満たして、養ってくださいます。

わたしたちの働きは、思い悩み、イエスさまに助けを求めている人たちを、主がその満たされないものを満たしてくださるところに座らせることです。私たちには、彼らを満たす力はありません。あのとき、弟子たちが言ったように、どんなに計算しても、わたしたちの手元にあるものでは足りないのです。

そして、もう一つは、神さまの恵みが無駄にならないように、それを集めてくることです。パンの屑、それは、イエスさまが分け与えられたものですが、人々の口には入らなかった残された主の恵み。受け取ることのできなかった主の恵みです。それは、弟子たちが最初に持っていたものよりも、はるかにたくさんのものでした。

このパンの奇跡によって満腹した者たちに、「朽ちる食べ物ではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい。これこそ、人の子があなたがたに与える食べ物である」(6:27)とおっしゃいました。イエスさまは、確かに、わたしたちのこの世での欠乏を、満たされたい何かを満たしてくださるお方です。しかし、それにとどまらず、この地上のことに関する主の恵みを通して、朽ちることのない永遠のものに、わたしたちを招かれます。

【祈り】

わたしたちを日々養ってくださる神さま。わたしたちがあなたによって養われているように、満たされないものを抱えて生きる人々をイエスさまが満たしてくださいますように。どうか、キリストによって満たされた者たちが、永遠の命に至るもののために働くことができますように。主の御名によって祈ります。アーメン。(2021年3月21日 橋本 いずみ )