2021年3月7日主日礼拝説教

《 神への愛と神からの誉れ

ヨハネによる福音書   5:41〜47

わたしは人からの誉れは受けない。しかし、あなたたちのうちには神への愛がないことを、わたしは知っている。わたしは父の名によって来たのに、あなたたちはわたしを受け入れない。もし、他の人が自分の名によって来れば、あなたたちは受け入れる。互いに相手からの誉れは受け入れるのに、唯一の神からの誉れは求めようとしないあなたたちにはどうして信じることができようか。わたしが父にあなたたちを訴えるなどと、考えてはならない。あなたたちを訴えるのは、あなたたちが頼りにしているモーセなのだ。あなたたちは、モーセを信じたのであれば、わたしをも信じたはずだ。モーセは、わたしについて書いているからである。しかし、モーセの書いたことを信じないのであれば、どうしてわたしが語ることを信じることができようか。(ヨハネ5:41〜47)

 主イエスの前には、不信仰な人たちがいます。彼らは、熱心に聖書を研究している者たちであり、モーセの記したところにしたがって永遠の命を得ようと努力していました。しかし、主イエスを信じることができないのです。

 イエスさまは、父を仰ぎ見て、父に仕え、父の栄光をあらわすことを目標とし、その目標からぶれることなく、父に向かう道をまっすぐに歩んでいかれました。それは、父への愛から生み出された態度であって、父の御心を知り、それを行うこと、そして、それゆえにあたえられる父から誉れが、イエスさまを動かす力でした。

イエスさまの目から見ると、イエスさまの目の前にいる人々が行なっている事が、神さまへの愛ゆえに生み出された言葉や行いではないことが明らかでした。互いに誉れを受けあっている人々の思いと目的は、人間に向けられており、他人からの賞賛に飢えており、あらゆることが(聖書を研究することも、永遠の命のための努力も)、人々からの誉れを獲得するため、自分自身を高めるために行われているように、イエスさまの目に映っていました。

主イエスのもとに来ることを拒み、主イエスを信じる事ができない者たちは、父なる神さまの愛、父なる神さまへの愛を失ってしまった者でした。彼らが、イエス・キリストを信じる事ができないのは、理解力が乏しいからではなく、神への愛を自分への愛にすり替え、ごまかしていたからでした。

父なる神さまは、モーセを通して律法を与え、民と契約を結ばれました。そして、その父なる神さまは、御子イエス・キリストを救いのために世にお遣わしになりました。モーセを通して律法を与えた神とイエス・キリストをお遣わしになった神は、別々の神なのではなくて、同じ神です。

わたしたちは、何を原動力に生きてきたでしょうか。イエスさまと同じように、神さまの愛を原動力とし、神さまからの誉れを受けることに焦点を当てて、あらゆることを語り、行なってきたでしょうか。イエスさまの言葉によって、神さまへの愛と誉れに目標を設定し直して、信仰の道を進みましょう。

【祈り】

天の父なる神さま。わたしたちは、あなたからの誉れより、人々からの誉れを求め、へりくだることよりも自分を高めることを求めていました。イエスさまは、私たちの不信仰と神への愛の欠如を見抜いておられます。主よ、イエスさまと同じように、父なる神さまへの愛と神さまがわたしたちをお誉めくださることを求めて生きるものにしてください。主の御名によって、お祈りします。アーメン。

(2021年3月7日 橋本 いずみ )