2021年4月18日 主日礼拝説教

《 わたしは良い羊飼い 

ヨハネによる福音書10:7-18

わたしが来たのは、羊が命を受けるため、しかも豊かに受けるためである。わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。羊飼いではなく、自分の羊を持たない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして逃げる。−狼は羊を奪い、また追い散らす。−彼は雇い人で、羊のことを心にかけていないからである。わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。

(ヨハネ10:10〜15)

 「わたしは良い羊飼いである」神の御子、わたしたちの主イエス・キリストのお言葉です。2021年度は、年主題「主は良い羊飼い」のもと、教会の歩みを進めていきます。

 イエスさまは、「わたしは良い羊飼いである」とおっしゃいます。ヨハネによる福音書には、「わたしは〇〇である」というイエスさまの言葉が何度か出てきます。「命のパン」(6:34,48)「世の光」(8:12,9:5)「ある」(8:24)、「羊の門」(10:7)「門」(10:9)「復活であり、命」(11:25)「道、真理、命」(14:6)「まことのぶどうの木」(15:1)など、「わたしはある」というのは、主イエス・キリストは神であられるということを表しています。

 神さまが「羊飼い」として「羊」の群れ(神の民)を導かれるということが約束されていました。(詩編23、95:7、100:3、エレミヤ31:10、33:13)

 ヨハネによる福音書では、「良い羊飼い」と対比して、「盗人」「雇い人」「狼」が出てきています。これらのものではなくて、「良い羊飼いである」と。良い羊飼い、悪い羊飼いがいる(エゼキエル34章)。イエスさまは、まことの羊飼いであり、その羊のために、命を捨てる羊飼いです。

「命」というのは、その人そのものを表す言葉で、魂、心、霊、精神、人間と訳されることもあります。そして「捨てる」というのは、置く、据える、定める、預ける、委ねるという意味の言葉です。イエスさまは、羊が生きるために、命をかけてくださる羊飼いだとおっしゃられているのです。わたしたちが豊かに生きるために、命をかけてあらゆることをしてくださり、いつも羊のことを心にかけてくださっている羊飼いです。イエスさまは、盗人のように、屠って食い物にしたり、滅ぼしたりしない。雇い人のように狼が来たからといって羊を投げ出すことはありません。

 そして、この羊飼いに導かれている羊は、その羊飼いを知っています。イエス・キリストの声を聞き分けることができる力が、羊たちには与えられているのです。わたしたちのことをいつも心にかけてくださっているよい羊飼いが、わたしたちを養ってくださいます。

【祈り】

主は羊飼い、わたしたちは、あなたの群れで養われる羊です。あなたの声に導かれて、今日もわたしたちはあなたのみ前におります。あなたが、わたしたちのことをいつも心にかけていてくださいました。この一年、コロナやコロナによって明らかにされた様々な問題から、命がけで、あなたがわたしたちを守ってくださいました。そして、これからも、あなたがわたしたちを養い守り導いてくださると信じます。主よ、あなたの声を聞き分け、あなたの声に聞き従う群れであらせてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2021年4月18日 橋本 いずみ )