《 一人の羊飼いに導かれる一つの群れ》
ヨハネによる福音書10:7-18
わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群になる。わたしは命を再び受けるために、捨てる。それゆえ父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これはわたしが父から受けた掟である。
(ヨハネ10:14〜18)
年主題「主は良い羊飼い」
2021年度は、年主題「主は良い羊飼い」のもと、教会の歩みを進めていきます。イエスさまは、わたしたちの群れの良い羊飼いであられるというだけでなく、この囲いに入っていない羊をも導かなければならないとおっしゃっておられます。
羊飼いの声を聞き分ける
父なる神さまと御子イエス・キリストが互いに深く知っているのと同じように、羊飼いは羊を知り、羊も羊飼いを知っているとイエスさまは言われます。
羊というものは、自分の羊飼いの声を聞き分けることができるものだ。そのように、イエスさまの声を当然聞き分けることができる。イエスさまの声が分かるように、神さまが聞き従うべき声を聞き分けることのできる耳を与えておられるということです。
復活のイエスさまが、マリアに現れた時(ヨハネ20:11-18)、マリアは、その姿を見ていても、イエスさまだとは分かりませんでしたが、「マリア」と自分に呼びかける主の声を聞いて、イエスさまだと分かりました。
囲いに入っていない羊
囲いに入っていない羊というのは、今はまだ「主の声を聞いていない人」ですが、「主はその羊をも導かなければならない」とおっしゃっています。主の声を今は聞き分けていない、まだ名前を呼ばれているかもわからない人が、もしかしたら、対立しているように思える人かもしれませんが、その人もまた、主の声を聞き分けるようになるということを示しています。
一人の羊飼い、一つにの群れ
社会には、様々な対立がありますし、夫婦であっても、血縁の家族であっても、一つになるのは本当に難しいものです。分かたれ、理解しあえず、分裂が起こっているそれらを一つにすることができるのは、わたしたちのために命を捨ててくださる主イエス以外にはおられません。一人の羊飼いに聞き従うことによって、わたしたちは一つとされていきます。長くこの群れにいるものも、新しく一つの群れとされていきます。
【祈り】
わたしたちのただ一人の羊飼いである主よ、あなたが今日、わたしの名を呼んでくださったので、この群れに帰ってくることができました。あなたの御声がわたしたちを導いてくださいます。互いに理解し得ない寂しさや悲しみを抱えているわたしたちです。主よ、私たちを憐れんでください。あなたがわたしたちの共通の羊飼いであることによって、わたしたちを一つにしてください。さらに、この群れにあなたの声を聞き分ける人を招いてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2021年4月25日 定期教会総会 橋本 いずみ )