2021年5月16日 主日礼拝説教

《 イエス・キリストによって生きる 》

ヨハネによる福音書6:52-59

イエスは言われた。「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちのうちに命はない。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは、永遠の命を得、わたしは、その人を終わりの日に復活させる。わたしの肉はまことの食べ物、わたしの血はまことの飲み物だからである。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは、いつもわたしのうちにおり、わたしもまたいつもその人のうちにいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。これは天から降ってきたパンである。先祖が食べたのに死んでしまったものとは違う。このパンを食べる者は永遠に生きる。」(ヨハネ6:53〜58)

 わたしたちは、イエス・キリストの体であるパンを食べ、イエス・キリストの血潮である杯をいただいて、生きています。キリストの弟子たちは、キリストの体とキリストの血潮によって、生かされて来ました。キリストの体とキリストの血潮は、教会の生命です。

 イエスさまが、パンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っていた人々に分け与えられたとき(6:11)、人々は、これを食べて満腹し、さらに期待をして、イエスさまを追いかけて来ました。イエスさまが、「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」と言われたとき、「どうして、この人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と議論が始まり、つぶやきが、議論に至り、議論から、その後、離れ去っていくものも出て来ます。(6:66)

 イエスさまは、「わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである」「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたがたに命はない」「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲むものは、…」とおっしゃられます。ここで、主イエス・キリストご自身が、死に引き渡されることによって、しか、永遠の命は、与えられないのです。

 聖餐において、キリストの体を食べ、キリストの血を飲むことは、やがて死者の中から復活させられるということの保証です。

イエスさまは、ご自分の死につまずいて議論している人々に、ご自分の死による祝福を告げられます。主イエス・キリストが十字架にかかり、その体と血をささげることから、すべての人を生かす命が出てくるのです。

心で信じているものたちが、口で告白して、洗礼に預かるように、信じているものたちは、本当に、食べて飲むということ(聖餐)を通して、キリストの救いの出来事を受け取って、生かされて来ましたし、これにあずかることによって、主はわたしたちのうちにあって生き、わたしたちは、主にあって生きます。

【祈り】

天の父なる神さま。あなたは、わたしたちに永遠の命を与えるために、御子を遣わしてくださいました。御子は、わたしたちに永遠の命をあたえるために、その体を献げ、血潮を流してくださいました。わたしたちが、聖餐にあずかるとき、キリストがわたしたちを生かしてくださることを信じます。主よ、わたしたちのうちにいてくださり、わたしたちをあなたのうちに留まらせてください。わたしたちはときに、あなたにつまずきますが、そこでも、あなたが語ってくださる言葉を聞くことができるようにしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2021年5月16日 橋本 いずみ )