《 命のパン 》
ヨハネによる福音書6:34-40
そこで、彼らが、「主よ、そのパンをいつもわたしたちにください」と言うと、イエスは言われた。「わたしが命のパンである。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じるものは決して渇くことがない。しかし、前にも言ったようにあなたがたはわたしを見ているのに、信じない。父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人をわたしは決して追い出さない。わたしが天から降って来たのは、自分の意思を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じるものが皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。
(ヨハネ6:34〜40)
わたしたちが、生きていくためには、日ごとの糧は、不可欠なものです。しかし、食べるものさえあれば、生きていけるかといえば、そうではありません。物質的に満たされていても、飢え渇きを覚えるということがあるのです。
マザーテレサが、来日した時「今朝、わたしはこの豊かな美しい国(日本)で孤独な人を見ました。この豊かな国の大きな心の貧困を見ました」と述べています。飢えや渇きというのは、冷淡で人間味がなく、必要としているものを、受け取ることができないで苦しむことです。
イエスさまは「わたしが命のパンである」とおっしゃられました。おそらくこの中には、日ごとの糧のことで苦しんでいる人たちがいたと思います。イエスさまは、その必要を知っておられましたので、まず人々にパンを分け与えられました(6:1-15)。
そしてさらに、主イエス・キリストは永遠の命をお与えになられます。永遠の命を与えることは、神の御子イエス・キリストにしかできないことです。イエスさまは、ご自分が「命のパン」であり、これによって永遠の命に生きることができるとおっしゃられるのです。
イエスさまは、パンを与えるだけでなく、永遠の命を与えるためにこの世に遣わされた神の御子です。イエス・キリストの復活を信じることは、キリストを信じる者たちを復活させてくださるということと結びついていることです。キリストは、初穂として復活させられ、終わりの日には、キリストを信じる者たちがその後に続いて必ず復活させられるのです。
イエスさまは、見ても信じることができない者に、ご自分を与え、「命のパン」を与えて、見て信じる者へと変えてくださいます。わたしたちは、イエスさまのもとにやってきて、「命のパン」に養われています。
【祈り】
天の父なる神さま。あなたは日ごとの糧をわたしたちに与えて、養ってくださいますから感謝します。しかし、わたしたちは日ごとの糧が与えられても希望がなければ、生きていけません。イエス・キリストによって、終わりの日の復活という確かな希望を与えてくださいました。なお信じることができないわたしたちがいます。「命のパン」である主イエス・キリストによって、わたしたちを信じるものへと変えてください。主の御名によってお祈りします。アーメン。
(2021年5月2日 橋本 いずみ )