2021年5月23日 主日礼拝説教

《 命を与える“霊”》

ヨハネによる福音書6:60-65

ところで、弟子たちの多くの者はこれを聞いて言った。「実にひどい話だ。誰が、こんな話を聞いていられようか。」イエスは弟子たちがこのことについてつぶやいているのに気づいて言われた。「あなたがたは、このことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に昇るのを見るならば…。命を与えるのは、“霊”である。肉は何の役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は、霊であり、命である。しかし、あなたがたのうちには信じない者たちもいる。」イエスは最初から、信じない者たちが誰であるか、またご自分を裏切るものが誰であるかを知っておられたのである。そして、言われた。「こういうわけで、わたしはあなたがたに、「父からのゆるしがなければ、だれもわたしのもとに来ることはできない」と言ったのだ。」    (ヨハネ6:60〜65)

 今日は、ペンテコステ、聖霊降臨日です。十字架に挙げられて命を捧げ、三日目に復活された主は、弟子たちと40日の間共に過ごし、天に挙げられました。天に昇られた主は、弟子たちの群れに聖霊をお与えになりました。今日は、聖霊が与えられたことを覚える主の日です。

 神の御子イエス・キリストが、洗礼を受けた時のことを、洗礼者ヨハネは「わたしは“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た」と証言しています。 神の御子がこの地上を歩まれる間、いつも“霊”がとどまっていました。十字架に挙げられ、天へと昇られます。そして、洗礼者ヨハネは、このお方こそ、「聖霊によって、洗礼を授ける人である」と証言しています。天に昇られた御子イエス・キリストは、洗礼を受けるものたちに聖霊を注いでくださるのです。

やがて、“霊”を受けることになる弟子たちに、 主イエス・キリストは、「命を与えるのは、“霊”である。…わたしがあなたがたに話した言葉は、霊であり、

命である。」と“霊”、聖霊について語っておられました。確かに、わたしたちが、御子イエス・キリストの言葉を聞くことができるのは、霊の働きによってです。誰も聖霊によらなければ、イエスは主であると告白できません(Ⅰコリント12:3)し、主イエス・キリストを証言し、宣べ伝える者がいなければ、誰もキリストを知ることはできません。

わたしたちに、主イエスの話した言葉を、聞かせるのは、聖霊の働きによるもので、わたしたちは、主イエス・キリストと同じように、「父よ」と神に向かっていのることが許され、神の子として生きることができるようにしてくださっているのも、聖霊がわたしたちにあたえられているからです。初穂として復活した御子の似姿にまで、わたしたちが造りかえられていくと信じ、また、事実、そのようにしてくださるのは、聖霊が私たちのうちに注がれているからです。この世に降られた神の御子は、天に昇り、“霊”注いでくださっています。

【祈り】

天の父なる神さま、御子イエス・キリストによって、あなたを「父よ」と呼ぶ“霊”を与えられ、感謝します。あなたが、御子イエス・キリストのもとへとわたしたちを導いてくださいました。不信仰にも、つぶやき、つまずいていたわたしたちに、聖霊を与えてくださり、キリストの約束を信じるものへと造りかえてくださいます。霊を豊かに注ぎ、その実りをわたしたちに与えてください。あなたの言葉によって、私たちに永遠の命に生きる希望を与えてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2021年5月23日 ペンテコステ礼拝 橋本 いずみ )