2021年5月9日 主日礼拝説教

《 永遠の命に至る食べ物 

ヨハネによる福音書6:41-51

イエスは答えて言われた。「つぶやき合うのはやめなさい。わたしをお遣わしになった父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとへ来ることはできない。わたしはその人を終わりの日に復活させる。預言者の書に『彼らは皆、神によって教えられる』と書いてある。父から聞いて学んだ者は皆、わたしのもとに来る。父を見た者は一人もいない。神のもとから来た者だけが父を見たのである。はっきり言っておく。信じる者は永遠の命を得ている。わたしは命のパンである。あなたたちの先祖は荒れ野でマンナを食べて死んでしまった。しかし、これは天から降って来たパンであり、これを食べる者は死なない。わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。わたしが与えるパンとは、世を生かすためのわたしの肉のことである。」(ヨハネ6:43〜51)

 イエスさまの言葉を聞いて、それを受け入れずに、つぶやき始めた人たちがいます。彼らは、約束の地を目指して荒れ野を旅した先祖と同じようにつぶやいているのです。

 かつてのイスラエルの民は、奴隷として仕えていたエジプトから脱出し、乳と蜜の流れる約束の地を目指しました。彼らは、荒れ野40年の間、繰り返しつぶやき(不平を言い)ました。ある時には、食べ物がないと、ある時には水がないと、ある時には、つるぎで殺されたくはないと(出エジプト15-17章、民数記14-17章)。荒れ野で神の民は、神の約束に信頼し、神の恵みに頼る訓練をされました。民のつぶやきは、神への反抗であり怒らせるものでした。

 イエスさまを前にしてつぶやいている人たちがいます。彼らは、目の前にいる人が、天から遣わされて来た神の子であるということを聞いて、つぶやき、不信感を抱いているのです。

 イエスさまは『彼らは皆、神によって教えられる』(イザヤ54:13)と神が、教えることによってしか、イエス・キリストを理解することはできず、神が教えないところでは、信仰は生まれ得ず、神が引き寄せてくださらなければ、何の力も生じません。イエスさまの人間的な魅力が人を惹きつけているのではなく、目に見えない父なる神が、引き寄せてくださって、わたしたちは、キリストとの出会いに導かれるのです。

かつて、荒れ野でマナを食べたものたちは皆、死にました。しかし、イエス・キリストを信じ、その肉、命のパンを食べる者は永遠に生きる。イエス・キリストによって、神との関係を破壊し、分裂させ、神の国から遠ざける死の力は、滅ぼされてしまっているからです。

イエス・キリストが永遠の命に至る食べ物として、ご自分を差し出してくださいました。わたしたちは、イエス・キリストによって生かされています。

【祈り】

天の父なる神さま。あなたがイエス・キリストを私たちのところへと遣わし、私たちをイエス・キリストのもとへと引き寄せてくださいました。御国に至る道を歩んでおりますが、わたしたちは、自分たちが持っているものがあまりにも少なく感じ不安になりつぶやき、あなたが与えてくださるものに不平を言いました。主よ、わたしたちを憐れみ赦してください。キリストが今日も私たちのためにご自身を差し出してくださっていますから、それを受け取って、神への信頼を深める旅を続けさせてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2021年5月9日 橋本 いずみ )