2021年6月13日 主日礼拝説教

《 イエスについての噂 

ヨハネによる福音書7:10-13

しかし、兄弟たちが祭りに上って行ったとき、イエスご自身も、人目を避け、隠れるようにして登っていかれた。祭りのときユダヤ人たちはイエスを捜し「あの男はどこにいるのか」と言っていた。群衆の間では、イエスのことがいろいろと囁かれていた。「良い人だ」と言う者もいれば「いや、群衆を惑わしている」と言う者もいた。しかし、ユダヤ人たちを恐れて公然と語るものはいなかった。(ヨハネ7:10〜13)

イエスさまは何者でしょうか?イエスさまは、「良い人です」と言う人もいましたし、「人々を惑わしている人だ」と言う人もいました。

イエスさまは何物か?と言うことを、福音書は、証言しています。イエスさまが、これまで、行われたことを見て、話されたことを聞いて、人々の中には、二つの反応をする人たちがいました。

一方は、「良い(善良な)人だ」と言い続ける人で、もう一方は「そうではない。人々を惑わしている」と言い続けている人でした。色々と囁かれていたと言われているので、他にも、イエスさまについての噂が広がっていかもしれません。イエスさま「いい人だ」「群衆を惑わしている」と囁く人たちは、公然とこのことを話しませんでした。なぜなら、ユダヤ人たちを恐れていたからです。

このユダヤ人たちは、イエスさまを捜しています。その目的は、イエスさまを殺すためでした。(ヨハネ5:18)そして、ユダヤ人たちは、人々から恐れられていました。ユダヤ人というのは、イエスさまを死へと向かわせ、後には、イエスさまを信じる人たちと対立し、迫害する勢力のことです。

人々は、ユダヤ人たちを恐れて、イエスさまについて公然と語るものはいませんでした。「いい人だ」と言う人も「そうではない」と言う人も、どちらも、結局は、ユダヤ人たちを恐れていました。

恐れが、人々がイエスさまについて公然と語ることの妨げになっていました。

何を恐れているのか。人々は結局のところは、神さまではなくて、ユダヤ人たちを恐れていました(19:38、20:19)。それは、福音書の最後まで、人々も、また、弟子たちもユダヤ人を恐れています。人間が恐れを抱くのは当然のことなのでしょう(創世記3:10)。しかし、イエスさまが、十字架にかけられた時、アリマタヤのヨセフは、イエスの弟子であることを表し、遺体を引き取りました。

 イエスさまの十字架は、人を恐れていた一人の人を変えました。恐れを締め出すのは、愛です。(1ヨハネ4:18)。神の愛のしるしである十字架が、一人の人を変えていきました。復活の主イエスは、恐れが支配していた家の中へと入ってきて、平和を与えてくださいました(ヨハネ20:19−23)。復活の主は、恐れている者たちに今日も現れてくださいます。

【祈り】

天の父なる神さま。今日、教会につながる子どもたちとその家族、そして、教会員の方々の家族を覚えて、ともに礼拝することができ、感謝します。十字架で示してくださった愛によって、わたしたちを人々を恐れるものから、天地を治めておられるあなたを畏れる者にしてください。さらには、主イエス・キリストを深く愛するものにして、私たちのうちから恐れを取り除いてください。平和のうちに歩ませてください。主の御名によってお祈りします。アーメン。

(2021年6月13日 橋本 いずみ )