2021年6月20日 主日礼拝説教

《 仮庵祭での教え 

ヨハネによる福音書7:14-24

イエスは答えて言われた。「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである。この方の御心を行おうとする者は、わたしの教えが神から出たものか、わたしが勝手に話しているのか、わかるはずである。自分勝手に話す者は、自分の栄光を求める。しかし、自分をお遣わしになった方の栄光を求める者は真実な人であり、その人には不義がない。…モーセの律法を破らないようにと、人は安息日であっても割礼を受けるのに、わたしが安息日に全身をいやしたからといって腹を立てるのか。うわべだけで裁くのはやめ、正しい裁きをしなさい。」        (ヨハネ7:14-24)

兄弟たちが「祭りの際、エルサレムへ行って、しるしを行え」と言う兄弟たちの言葉を退けたイエスさまでしたが、兄弟たちと一緒にではなく、イエスさまは一人でひっそりとエルサレムに来られました。

祭りの賑やかさとは裏腹に、人々はイエスさまと敵対する人(ユダヤ人)を恐れていました。

2章には過越祭(3-4月)、ここでは仮庵祭(9−10月)でのことが記されています。イエスさまは、祭りが近づくとエルサレムに行かれました(5章)。

イエスさまの兄弟たちは、エルサレムで再びイエスさまの業を期待していましたが、神殿の境内で教えられるのです。イエスさまの教えは、新鮮で新しく、さらに、聖書と一致し、それを解釈するもので、ユダヤ人たちに驚きを与えるものでした。

イエスさまは、父なる神のなさることを見、その心をお語りになりました。イエスさまはいつでも父なる神を見ておられ、人々の眼差しを神に向けさせようとします。イエスさまは、父なる神が遣わしたものであり、父なる神の栄光を求めておられました。神から出た教えは、その教えによって神の栄光を表し、神に目を向けさせ、神に対する感謝と愛を引き起こします。

モーセはユダヤ人たちに尊敬されていますが、彼が与えた律法を守らない。うわべでは、尊敬しているが、モーセが与えた律法を、捻じ曲げて解釈し、踏みにじっている。

イエスさまが安息日に全身を癒したということで律法を守っていないと批判する者たちも、安息日であっても割礼を施していました。

イエスさまは、病気で38年もの間苦しんでいた人を癒やされました(5:1-18)。彼はイエスさまに癒やされて、神殿の境内に入っていくことができました。彼も割礼を施された一人でした。しかし、病気のために、神を礼拝することができなかった。神の民の礼拝に加わることができませんでした。イエスさまは、安息日にその全身を癒して、神の前へと向かわせたのです。

安息日に、人が癒やされることで腹を立てているものたちは、イエスさまを殺そうと裁いています。それはうわべだけで、判断して、そこでなされている神さまの働きを見ていませんでした。

【祈り】

主イエス・キリストの父なる神さま。イエスさまの言葉が、今日も私たちの眼差しをあなたに向けさせてくださいました。イエスさまが、今日も私たちをあなたの御前へと向かわせてくださいました。うわべだけで判断することから、私たちを自由にしてください。あなたの真理を知ることができるように導いてください。主の御名によってお祈りします。アーメン。

(2021年6月20日 橋本 いずみ )