《 まだ時は来ていない 》
ヨハネによる福音書7:25-31
すると神殿の境内で教えていたイエスは、大声で言われた。「あなたたちはわたしのことを知っており、またどこの出身かも知っている。わたしは自分勝手に来たのではない。わたしをお遣わしになった方は真実であるが、あなたたちはその方を知らない。わたしはその方を知っている。わたしはその方の元から来たものであり、そのかたがわたしをお遣わしになったのである。」人々はイエスを捕らえようとしたが、手をかけるものはいなかった。イエスの時はまだ来ていなかったからである。しかし、群衆の中にはイエスを信じるものが大勢いて、「メシアが来られても、この人よりも多くのしるしをなさるだろうか」と言った。 (ヨハネ7:28-31)
「イエス・キリスト」イエスさまが何者であるのかを最も短く言い表している信仰の言葉です。仮庵祭の間、イエスさまが何者であるのかについて、「いい人だ」「群衆を惑わしている」と言う人たちがおり、「メシア(キリスト)なのか」「どこから来たのか」「どこにいくのか」「聖書ではどのように語られているか」さまざまな問いを通して、イエスがキリストなのかを明らかにしていきます。
仮庵祭の半ばのことが、14節から36節まで続いています。神殿の境内で、公然とイエスさまは教えているのに、イエスさまを殺そうと考えているユダヤ人の議員たちは、捕らえない。このことを見ていた、エルサレムの人々は、ユダヤ人たちも「メシア」であると言うことを認めたのではないだろうかと考えました。しかし、エルサレムの住民は、どこからきたのかを知っているから、彼はメシアではないと結論づけているのです。イエスさまは、ガリラヤからやってきたナザレのイエスとして、知られていました。兄弟たちも仮庵祭のためにエルサレムに上ってきていますので、イエスさまの出自は知られていました。それゆえ、キリストではないと考えられました。
しかし、イエスさまの出自に関して知っていることがかえってイエスさまの言葉を聞こえなくしたのかもしれませんし、イエスさまが語られることを理解する妨げになったのかもしれません。
イエスさまは、ご自分について何もかも知っているかのように語る人たちの中で、叫ばれます。「わたしは自分勝手に来たのではない。…その方がわたしをお遣わしになったのである」と。イエスさまは、神によってこの世に遣わされて、ベツレヘムで生まれ、ナザレで育ちました。イエスさまがこの世に来られたのは、自分の意思ではなくて、遣わされて、存在しているのであり、イエスさまが派遣されたのは目的があります。それは、永遠の命を与えるためです。イエスさまは、永遠の命を与えてくださる神の御子、キリストです。
この目的を実現するために、神が時を定めておられます。そして、その時はまだ来ていない。イエスさまが十字架へと上げられるその時は、まだ来ていません。それゆえ、イエスさまを殺そうと考えている人がいても、見えざる御手が主イエスを守っています。この時、主イエスを導いておられた同じ御手が今日もわたしたちを守ってくださっています。
【祈り】
主イエス・キリストの父なる神さま。あなたは、時を創造し、時にかなって美しい御業をなされます。わたしたちを救ってくださり、永遠の命を与えてくださるお方は、イエス・キリストだけです。主よ、わたしたちを憐れみの御手を持って守っていてください。主の御名によってお祈りします。アーメン。
(2021年6月27日 橋本 いずみ )