《 信じていない兄弟たち 》
ヨハネによる福音書7:1-9
その後、イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうと狙っていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった。ときに、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた。イエスの兄弟たちが言った。「ここを去ってユダヤに行き、あなたのしている業を弟子たちにも見せてやりなさい。公に知られようとしながら、ひそかに行動する人はいない。こういうことをしているからには、自分を世にはっきり示しなさい。」兄弟たちもイエスを信じていなかったのである。そこで、イエスは言われた「わたしの時はまだ来ていない。しかし、あなたがたの時はいつも備えられている。世はあなたがたを憎むことができないが、わたしを憎んでいる。わたしが世の行っている業は悪いと証ししているからだ。あなたがたは祭に上っていくがよい。わたしはこの祭には上って行かない。まだわたしの時は来ていないからである。」こう言って、イエスはガリラヤにとどまられた。
(ヨハネ7:1〜9)
仮庵祭が近づいていた。仮庵祭は、過越祭、七週の祭りと並ぶ、ユダヤ人たちにとっては、重要な祭りの一つでした(申命記16章)。これらの祭に合わせて、エルサレムを巡礼しました。中でも、仮庵祭は、大衆的な祭りであったようで、9月の末から10月の初め頃に、葡萄酒、果物、オリーブの収穫感謝祭として祝われ、かつて荒野を旅していたことを思い起こし、家の屋上や広場に葉のついた枝で小屋を建てて、七日間そこで寝起きしたそうです。神殿では、犠牲が捧げられ、水を注ぐ儀式が行われました。
イエスさまは、ガリラヤ地方におられました。弟子たちは、姿を消し、2章のカナの婚礼以来、登場していなかったイエスさまの肉親が出てきます。
イエスさまにが何人兄弟だったかはわかりませんが、兄弟姉妹(マタイ13:55,56)がいました。中でも主の兄弟ヤコブは、後に、エルサレムでイエス・キリストの復活の証人の群れの重要な一人になり、パウロと出会っています(ガラテヤ1:19)。
イエスさまの兄弟たちは、「自分の弟子たちの前で業(奇跡)をするように」(3-4節)と勧めるのです。善意による忠告なのですが、イエスさまは数々の不思議な業によって、世を救われるのではなくて、ただ一度、十字架で命を捧げられることによって、人々に永遠の命への道を開かれるのです。そして、「わたしの時は、まだ来ていない」とおっしゃられます。
イエスさまの家族には、誰もが認める形で、その業を輝かしく行ってほしいという願いがありました(ヨハネ2:1−11)。しかし、家族が願うような形で業を行うことは、十字架の道から逸れることに他ならなかったのです。イエスさまは、ガリラヤにとどまり、兄弟たちとは別に、密かにエルサレムに向かわれます。
【祈り】
わたしたちを主イエス・キリストのもとへと呼び集めてくださった父なる神さま。聖なる御名を賛美します。あなたが時を治めておられ、時にかなって美しく御業をなしてくださると信じます。今日も、わたしたちがあなたの御業を理解できなくても、御心を行なってくださいますように。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン。
(2021年6月6日 橋本 いずみ )