《 なぜ、連れてこなかったのか 》
ヨハネによる福音書8:45-52
さて、祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻ってきたとき、「どうして、あの男を連れて来なかったのか」と言った。下役たちは「今まで、あの人のように話した人はいません」と答えた。するとファリサイ派の人々は言った。「お前たちまでも惑わされたのか。議員たちやファリサイ派の人々の中に、あの男を信じたものがいるだろうか。だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。」彼らの中の一人で、以前イエスを尋ねたことのあるニコデモが言った。「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめた上でなければ、判決を下してはならないことになっているではないか」彼らは答えて言った。「あなたがたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことがわかる」(ヨハネ7:45-52)
仮庵祭の後、イエスさまを捕らえようと思う人たちがいましたが、そうすることはできませんでした。祭司長やファリサイ派の人々によって遣わされてきた者たちは、そのミッションを果たすことができずに、彼らのもとへと戻って行きました。祭司長たちは、神殿での祭儀に携わる責任者たち、ファリサイ派の人々は、律法主義者です。彼らによって、遣わされた下役たちは、主イエス・キリストと会い、その語ることを聞いて、捕らえることができなくなってしまいました。(33,34節)
下役たちを遣わした者の中に、ニコデモがいました。彼は、下役たちが帰ってきたとき、主イエスを捉えることができなかった彼らの言い分を彼だけは理解していました。ニコデモは、夜の訪問者として、3章に登場して以来、姿を消していました。彼は、ユダヤ人たちの議員で、主イエスを捕らえるために下役たちを遣わす人たちの仲間です。主イエスの話を聞いても、主イエスと敵対するグループの中にいるのです。だから、彼には、「今まであの人のよう
ように話した人はいません」と報告した下役たちの言葉がよく分かったのでしょう。なぜなら、ニコデモも、「神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、誰も行うことはできないからです」(3:2)と言っており、イエスさまの言葉を驚きつつ聞いた一人だったからです。主イエスと敵対するグールプにいながら、主の言葉に耳を閉し、心を閉ざしていた人々にも「我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめた上でなければ、判決を下してはならないことになっているではないか」というのです。
主イエスの言葉を、聴こうとしない人々に対して、ニコデモは、彼らが、最も大切にしているルールに則りつつ、主イエスの言葉を聞くようにと人々に呼びかけるのです。それは、ニコデモにしかできない呼びかけでした。
主イエスの言葉を、実際に聞いた者たちは、主の言葉に驚き、自分たちを遣わした者たちのところへと帰って行き、主イエスの言葉を聞いた時の驚きを告げました。主イエスのように、御言葉を語り人は、他にはおらず、御言葉には、人を生かす力があります。
【祈り】
御子イエス・キリストを遣わしてくださった父なる神さま。主イエスの他には、私たちを救うことができるお方はいません。心を開いて、主の御言葉を聞き、わたしたちが今週出会う人たちが、主に思いを向けるようにと祈りつつ、それぞれの場で、語り、行動することができるように、導いてください。主の御名によって、お祈りします。
アーメン。
(2021年7月25日 橋本 いずみ )