《 真実の証、真実の裁き 》
ヨハネによる福音書 8:12〜20
イエスは答えて言われた。「たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしは一人ではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。」(ヨハネ8:14-18)
私たちが何かを見るとき、光がなければ、見える目を持っている人であったとしても、見ることはできません。光があったとしても、その目に見る力がなければ、見ることができません。イエスさまは「世の光」であり、この世にあって、わたしたちに神の出来事を見させる光です。
イエスさまが「わたしは世の光である」とお語りになったとき、その証しは、真実ではないという人たちがいました。その理由は、自分自身について証ししているからです。それでも、イエスさまは、「わたしの証しは真実である」とおっしゃいます。それは、主イエスがどこからきて、どこへいくのかを知っており、わたしを遣わした父が一緒になって証しをしてくださるからです。
先週、礼拝後に神学生に証しをしていただきました。また、西日本教会青年同盟でも、メッセンジャーの牧師や参加者の証しがありました。証では、どのように生きてきたか、何に躓き、今どのように考え祈っているのかと、自分自身のことを語ります。しかし、証にはもう一つの視点があり、神が自分にどのように関わっておられるかということです。証には、神が働いておられるという上からの視点が必要です。
聖書に記された四つの福音書がありますが、これらは、エゼキエル書に出てくる四つの生き物(エゼキエル書1:4)にたとえられてきました。マタイは獅子、マルコは人間、ルカは牛、そして、ヨハネは鷹です。ヨハネによる福音書は、鷹が空高くからこの地上を見るように、主イエス・キリストが父なる神との一つであられる神の御子であると救いの出来事を語りました。
ヨハネによる福音書は、イエス・キリストは、永遠の言であり、神の御子であり、父との一体性を失うことなく、この地上を歩まれました。イエスさまは、ご自分の証は真実であると語ります。それは、ご自身を遣わされた父なる神が共に居られて証してくださるからです。
イエスさまの人間性だけを見ている人には、イエスさまの証言が真実とは思えず、その証の真実を知ることはできませんでした。イエスさまを通して、神を知ったものたちには、この世を生きるわたしたちにも神が生きて働いてくださることが見えてくるでしょう。死に向かって行き、滅びるしか他に道がなかったわたしに、神が関わってくださって、神の御子と同じ姿へと造り替えてくださると知ることができるでしょう。
《祈り》
主イエス・キリストの父なる神さま。御子イエス・キリストによってあなたが今、この世にあって生きて働いておられることを知ることができ感謝します。イエスさまの言葉の真実を私たちに理解させてください。それがわたしたちに理解できるようないならば、そのことを信じることができるようにしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2021年8月22日橋本いずみ)