2021年8月29日主日礼拝説教

「わたしはある」ということ 

ヨハネによる福音書 8:21〜30

イエスは彼らに言われた。「あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬ事になると、わたしは言ったのである。『わたしはある』ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。」…そこで、イエスは言われた。「あなたたちは、人の子を上げたときに初めて「わたしはある」ということ、またわたしが、自分勝手には何もせず、ただ父に教えられたとおりに話していることがわかるだろう。わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしはいつもこの方の御心に適うことを行うからである」これらのことを語られたとき、多くの人がイエスを信じた。(ヨハネ8:23-30)

「わたしはある」ということ

「わたしはある」ということ、わたしを存在させているものは、何なのでしょうか。わたしはどこから生まれ、どこへ行くのでしょうか。わたしは、どこに属しているでしょうか。

イエスさまは、わたしは、「上のものに属している」、「この世には属していない」とおっしゃっています。イエスさまは、父なる神さまのもとから遣わされて来て、遣わされたお方のところへと帰っていかれます。

「わたしはある」これは、かつてモーセがイスラエルをエジプトから脱出させるために召し出された時、神がモーセに示された神の名でした。

そして、「イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと」命じられました。

「わたしはある」ということを信じる

「わたしの来るところに、あなたがたは来ることができない」という言葉を聞いて、自殺でもするのだろうかと考えた人たちがいたわけですが、「わたしはある」ということを信じなければ、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになるとイエスさまは、おっしゃられました。イエスさまの存在が死んで消えて無くなるのではなくて、この世に属し、下のものに動かされ、支配されているものたちの、存在は、罪のなかで死に消えてなくなってしまうと言うのです。

わたしたちは罪の中で生まれ、罪の中で生き、罪ゆえに死に定められています。しかし、そのわたしたちに「わたしはある」と仰せになる方、存在を存在たらしめる方が出会ってくださって、存在させてくださいます。

「わたしはある」ということを知る

イエスさまが、「わたしはある」ということがわかっていません。しかし、多くの人たちはイエスさまを信じるようになりました。自らの存在の意味をイエスさまにに求め、イエス・キリストに属するものとして生き始めたのです。そして、イエスさまが「わたしはある」ということは、後になって、イエスさまが十字架に挙げられ、死から復活し、天に挙げられるときにわかるようになるのです。私たちにも今はわからないことがある、しかし、イエスさまが天に挙げられたこのことからすべてのことを見直すときに見えてくるもの、分かることがあるのかもしれません。

《祈り》 主イエス・キリストの父なる神さま。わたしたちは、自分で自分の存在を創り出すことはできませんし、今、ここに存在していても、いとも簡単に消えて無くなってしまうように感じます。実際のところ、自分がどこから来て、どこに向かっているのか、よく分かりません。イエスさまは、この世とその中に生きているものたちの、存在の初めと行く末をご存知です。主よ、どうか、主が死から復活させられたその道を、わたしたちにも歩ませてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2021年8月29日橋本いずみ)