2022年1月23日 主日礼拝説教

《 信じない人、信じた人 

ヨハネによる福音書10:31~42

ユダヤ人たちは答えた。「善い業のことで、石で打ち殺すのではない。神を冒瀆したからだ。」そこでイエスは言われた。「あなたたちの律法に『わたしは言う。あなたたちは神々である』と書いてあるではないか。神の言葉を受け入れた人たちが『神々』と言われている。そして聖書が廃れることはありえない。それなら父から聖なるものとされて世に遣わされたわたしが。『わたしは神の子である』と言ったからとて、どうして『神を冒瀆している』と言うのか。もし、わたしが父の業を行っていないのであれば、わたしを信じなくてもよい。しかし、行っているのであれば、わたしを信じなくても、その業を信じなさい。そうすれば、父がわたしの内におられ、わたしが父の内にいることを、あなたたちは知り、また悟るだろう。」そこで、ユダヤ人たちはまたイエスを捕らえようとしたが、イエスは彼らの手を逃れて、去っていかれた。

イエスは再びヨルダン側の向こう側、ヨハネが最初に洗礼を授けていたところに行って、そこに滞在された。多くの人がイエスのもとにきて言った。「ヨハネは何のしるしも行わなかったが、この方について話したことは、すべて本当だった」そこでは、多くの人がイエスを信じた。

(ヨハネ10:33-42)

神の御子イエス・キリストを信じない人と信じた人が聖書には出てきます。

信じない人(10:25)にイエスさまは、「わたしを信じなくても、その業を信じなさい。」と語られます。イエス・キリストを信じない人々も、イエスさまのなされたその業を見ていました。そして、彼らが、イエスさまと対立し、殺そうとしているのは、イエスさまが行った業に関することではないと、彼ら自身が言っているのです。イエスさまが行っていた善い業を認めていました。だから、イエスさまは、彼らには、その業を信じなさいとおっしゃいます。イエスさまが行っておられた業は、かつて、預言者たちによって、終わりの日に神がなさることとして告げられていたこと(イザヤ55:1、42:16)であり、神さまにしかできない奇跡でした。イエスさまがなされている業を信頼する。そのことによって、彼らが、受け入れ難いと思っている事実、イエスが神の御子キリストであり、父なる神さまが御子を通して働いておられるということを知り、理解することができるようになるだろうというのです。

エルサレムでは、信じない人たちがおり、その人たちに向かってイエスさまは語っておられましたが、ヨルダン川の東側では、多くの人がイエスを信じたいたということを聖書は告げています。

イエスさまを信じるようになった人たちを導いたのは、洗礼者ヨハネの証でした。洗礼者ヨハネは、イエスさまを見て、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ」「この方こそ、神の子であると証したのである」(ヨハネ1:29-34)と言っています。洗礼者ヨハネが、イエス・キリストを見て告げた、その証の言葉が、イエス・キリストが来られた時、多くの人をイエスさまのもとへと導き、さらに、多くの人が信じるようになったのです。

 洗礼者ヨハネに関しては、「ヨハネはなんのしるしも行わなかった」と告げています。しるしを行うのは、イエスさまだからです。わたしたちは、イエスさまを仰ぎ見ている人たちの証を通して、イエスさまを知り、信じるようになりました。わたしたちも、わたしたちの救いを成し遂げてくださったイエス・キリストを仰ぎ見て、この方を証します。わたしたちが、キリストを証したところのその人々のところに、主ご自身が来られて、その御業をなしてくださいます。

《祈り》

主イエス・キリストの父なる神さま。今日も聖書を通して、イエスキリストを証する言葉を聞きました。洗礼者ヨハネがイエスさまを証したそのところに、主イエス・キリストご自身が再びおいでくださることによって、多くの人たちが信じたように、わたしたちがキリストについて証をするとき、人々をイエス・キリストへの信仰へと導いてください。信じない人たちにも、イエスさまが語りかけてくださっていることを教えてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2022年1月23日 橋本いずみ)