2022年1月9日主日礼拝説教

《 一つの群れになる 

ヨハネによる福音書10:14~21

わたしは、良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている。それは、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである、わたしは羊のために命を捨てる。わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。こうして、羊は一人の羊飼いに導かれ、一つの群れになる。わたしは命を再び受けるために、捨てる。それゆえ、父はわたしを愛してくださる。だれもわたしから命を奪い取ることはできない。わたしは自分でそれを捨てる。わたしは命を捨てることもでき、それを再び受けることもできる。これはわたしが父から受けた掟である。」

この話をめぐって、ユダヤ人たちの間にまた対立が生じた。多くのユダヤ人はいった「彼は悪霊に取りつかれて、気がへんになっている。なぜ、あなたたちは彼の言うことに耳を貸すのか。」他の者たちは言った。「悪霊に取りつかれたものは、こういうことは言えない。悪霊に盲人の目が開けられようか。」    (ヨハネ  10:14-21)

西宮一麦教会は、年主題「主は良い羊飼い」として、教会の歩みを進めています。新しい年も、主がわたしたちの良い羊飼いとして、養い、守り、導いてくださいます。礼拝では、ヨハネによる福音書に戻って、共に御言葉を聞いていきます。

 教会は、主イエス・キリストを羊飼いとする羊の群れです。羊飼いである主イエス・キリストは、わたしたちのことを知っていてくださいます。そして、わたしたちも、主イエス・キリストのことを知らされています。父なる神さまと御子イエス・キリストが、一心同体となって、互いに知っているのと同じように、私たちが教会の交わりに入れられているということは、キリストと一心同体になるまでに、キリストを知ることが許されているということです。

 イエス・キリストは、100匹の羊を一匹一匹見つけ出すようにして(ルカによる福音書15:1-7)、わたしたちを救い出してくださいました。迷子になっていた羊を、100匹全部まとめてというのではなく、一匹一匹見つけ出すというのが、神さまの救いの方法です。わたしたちのことをよく知っていてくださるからこそ、羊飼いである主は、わたしたちを見つけ出すことができ、これからもし群れから迷い出ることがあったとしても、私たちを見つけ出すことがおできになります。

一匹一匹の群れを一つにするのは、羊飼いである主イエス・キリストの声です。一匹一匹は、バラバラですが、みな、自分のことを本当によく知ってくださっている羊飼いの声を知っている。みな一人の羊飼いの声を聞き分けている。一人の羊飼いの声が、群れを一つにしていきます。

クリスマスにお生まれになった神の御子イエス・キリストは、やがて、十字架にかかり、その命を捨てられます。この世の命よりも大事なものを知っておられたからです。神の御子イエス・キリストにとって、この世の命よりも大事なものは、あなたです。イエス・キリストは、命の権限を持っておられて、それを捨てることも、再び受けることもできるお方です。わたしたちの命の権限は、御子イエス・キリストがもっておられます。わたしたちが、生きるにしても、死ぬにしても、このお方の御手の内でそのすべての出来事が起こります。

主の年2022年も、主が良い羊飼いとして、私たちを養い育て、一つの群れにしてくださいます。

《祈り》

わたしたちの羊飼い、主イエス・キリストの父なる神さま。イエスさまが、わたしたちを見つけ出し、この羊の群れの一員にしてくださいました。あなたは、他の羊の群れも導いておられます。主よ、どうか、あなたの声を聞き分ける者たちを、一つの群れにしてください。すべてのキリストの名によって建てられた教会のよき羊飼いでいてくださいますように。主の御名によって祈ります。アーメン。(2022年1月9日 橋本いずみ)