2022年3月27日 主日礼拝

《  家に満ちる香り 》

ヨハネによる福音書 12:1~8

過越祭の六日前に、イエスはベタニアに行かれた。…そのとき、マリアが純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ持って来て、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。…イエスは言われた。この人のするままにさせておきなさい。わたしの葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつも一緒にいるわけではない。(ヨハネ12:1〜8)

主イエスは、過越祭が近づいた時、再びベタニアに来られました。十字架へと引き渡されていくとき、神の栄光があらわされる時が近づいていました。

イエスさまに香油を注いだ女については、どの福音書も記しています(マタイ26:6-13、マルコ14:3-9、ルカ7:36−50)。他の福音書では、無名の女ですが、ヨハネによる福音書では、ラザロの姉妹であるマリア(11.2)と言われています。

ラザロは、主イエスと一緒に食事の席につき、マルタは給仕をし、そして、マリアは、主イエスにナルドの香油を注ぎました。死を超えて働かれる御子イエス・キリストへの感謝ゆえに、彼らは、この家に集まっていたのです。

マリアは、一リトラ(約326g)300デナリオン(1デナリオン=1日の賃金)純粋で高価な香油をもってきました。ナルドの香油は、ほんの一滴でも良い香りを放つ香油でしたが、それを主イエスの足に塗ったことで、その香りが家に充満していました。

マリアは、ラザロの死に直面したその悲しみの中でも、その足元にひれ伏してイエスさまの権威のもとに身を置いていました。あの時、何もできなかったマリアが、もてなし、奉仕のしるしとして、今は、主イエスの足に香油を塗って自分の髪の毛で拭うのです(ヨハネ13:5-14)。

その家は、神さまへ献げられるよい香りで(Ⅱコリ2:14-16)いっぱいになっていました。ここで、マリアと対照的な人としてイスカリオテのユダがいます。彼は、弟子の一人でイエスさまを十字架へと引き渡すことになる人です。彼の語り、したことの延長線上には、十字架が立っていて、それらは、取り除かれなければならないものです。ユダは、イエス・キリストに献げられたものを預かっていた(持っていた)にもかかわらず、そこからこっそりと盗んでいたので、マリアのイエスさまへの献げ物を喜べないで、「なぜ、貧しい人々に施さなかったのか」と言うのです。彼は金入れをずっと持っていました。そこに入ってくるお金に関心を寄せて、それを手放さずにずっと持っていたのです。

イエスさまこの食事の席の最後に「貧しい人々はいつもあなたがたと一緒にいるが、わたしはいつもあなた方と一緒にいるわけではない。(貧しいものたちをいつも自分たちと共に持っている。しかし、あなたがたはいつもわたしを持っているわけではない)」とおっしゃっています。持つというのは、密接な交わりがある(ホセ2.21-25、ヨハネ3:15,16、13.8、ヘブライ4:14-16)ということです。

イエスさまは、マリアのしたことを、葬りの日のためのこと、いつも一緒にいるわけではない主イエスへの献げ物として受け取ってくださっています。

《祈り》 

天の父なる神さま。私たちは今日も、あなた権威のもとに身をおき、あなたをほめたたえます。イエスさまの十字架の死と復活によって、神さまとの親密な関係へと入れられていることを感謝します。あなたが共にいてくださるからできること、今しかできないことをもって、あなたに仕えさせてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2022年3月27日受難節第四主日 橋本いずみ)