《 王は、ろばの子に乗って 》
ヨハネによる福音書 12:12~19
その翌日、祭りに来ていた大勢の群衆は、イエスがエルサレムに来られると聞き、なつめやしの枝を持って迎えに出た。そして、叫び続けた。
「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」イエスはろばの子を見つけて、お乗りになった。次のように書いてあるとおりである。「シオンの娘よ、恐るな。見よ、お前の王がおいでになる、ろばの子に乗って。」弟子たちは最初これらのことが分からなかったが、イエスが栄光を受けられたとき、それがイエスについて書かれたものであり、人々がその通りにイエスにしたということを思い出した。
(ヨハネ12:12−19)
過越祭が近づきイエスさまがエルサレムに来られました。仮庵祭の時のように、こっそりとではなく(ヨハネ7:10)、大勢の群衆に囲まれてエルサレムに入って行きました。
主イエスが、エルサレムに入るときのことを他の福音書も告げています、共通点は、ろばに乗って入ってこられ、「ホサナ」と叫ぶ人がいることです。相違点は、なつめやしの枝を持って出迎えること、ろばがイエスさまご自身によって見つけられることです。さらに、ヨハネによる福音書は、これが、書いてあることであった(ゼカリヤ9:9)と記しています。
人々は、なつめやし(棕櫚)の枝を持って迎え出た(レビ23:40)。勝利者が帰って来たかのように、人々は、叫び続けました。それは、天の国でささげる賛美のようでした(黙示録7:9)。
人々は、「ホサナ、主の名によって来られる方に祝福があるように、イスラエルの王に(1:49)」(詩編118:25,26)と叫び続けます。
イエスさまは、イスラエルの王となる方として、エルサレムに迎え入れられました。人々は、ろばに乗って来られる王を賛美しています。
ろばは、荷を負う動物であり、傷つき弱った人がろばに乗せられます(ルカ10:33、列王上13章、歴代下28:15)。ヨハネでは、ろばをイエスさまが見つけてきたのに対し、他の福音書では弟子が連れて来ますが、イエスさまは、そこにろばがいることを知っていて、弟子たちに連れて来させていますから、結局はイエスさまはこのろばの存在を知っていて、エルサレムに入っていく時に、ご自身を載せるものとして用いられるのです。
イエスさまは、戦いのために装備した軍馬ではなく、重荷を負うものと一緒になって、平和の王としてイエスさまはエルサレムに入ってこられました。
ヨハネによる福音書では、これがゼカリヤ9:9に書かれていたことであることを告げていますが、弟子たちは、イエスさまが栄光をお受けになるまでは、このことを意味ある出来事だとは思っていません。
主イエス・キリストが栄光を受ける時、それは、十字架で死ぬ時であり、復活する時であり、聖霊が与えられる時です。主の栄光が示され、賛美される時に、分からなかったことが、わかるようになる。神さまが何をなされているのかがわかるようになります。
《祈り》 十字架の主イエス・キリストの父なる神さま。主がこの世に来られるずっと以前から、戦いの弓を絶ち、諸国の民に平和が告げられると示しておられました。平和の王よ、おいでください。今、私たちにわからないことがありますが、主の栄光が示されることによって、あなたが王としてわたしたちを治め、すべての造られた世界をおさめておられることがわかるようにしてください。平和の主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
(2022年4月10日 棕梠の主日 橋本いずみ)