2022年4月24日 主日礼拝説教

《 ぶどうの木 互いに愛し合いなさい 

ヨハネによる福音書  15:5~17

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。…あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。…わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。  (ヨハネ15:5−17)

イエスさまは、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」とおっしゃいました。この世から選び出され、イエスさまにつながる弟子、友となる人に対して、おっしゃられた言葉です。2022年度の西宮一麦教会は、このことを主題に掲げて教会の歩みを進めてまいります。

枝が実を結ぶか切り捨てられることになるかは、ぶどうの木であるイエスさまにつながっているかどうかです。イエスさまにつながっていることは、「互いに愛し合いなさい」という掟を守り、イエスさまの愛のうちにとどまり続けることです。わたしたちは、この掟を無視して、イエスさまにつながっていることはできないですし、豊かな実りを期待することもできません。

イエスさまが命じたことは、「互いに愛し合う」という相互的な交わりであり、教会の中で、「愛されること」と「愛すること」を経験していきます。その基盤となるのは、主が一方的に愛して、友となって命を捨ててくださったことです。この基盤の上に、互いに愛し合う群れは形成されていきます。

相互的な愛は、「愛してくれるから、愛する」「愛してあげたから、愛してもらう」というgive and takeではなく、キリストに愛されたものは、人との関係においは、愛してもらえなくても、魅力的でなくても、似たものでなくても、相手がどうであれ、愛するのです。

主に召されたものたちの群れの中で「愛されること」で、主が愛してくださっているということを具体的に経験し、「愛すること」で、自らの愛の乏さを味わい主の愛の偉大さに改めて気づきます。

互いに愛し合うこと、それは、互いに足を洗い合うこと(ヨハネ13:14)挨拶を交わすこと(ロマ16:16)、相手を優れたものと思うこと(ロマ12:10)、裁き合わず、つまずきになるものや妨げになるものを置かないこと(ロマ14:13)、重荷を担うこと(ガラ6:2)、信仰をもって励まし合うこと(ロマ1:12)、戒め合うこと(ロマ15:14)、知恵を尽くして教え、諭し合うこと(コロ3:16)、親切にし憐れみの心で接し神がキリストによってあなたがたを赦してくださったように赦し合うこと(エフェ4.32)です。 「互いに愛し合うこと」愛し、愛されることで、ぶどうの木であるイエスさまとつながります。

《祈り》 

教会の主イエス・キリストの父なる神さま。あなたが私たちをこの世から選び出し、まことのぶどうの木である主イエス・キリストにつながる枝の一つにしてくださったことを信じ感謝します。わたしたちは、主を離れては何もできません。主がわたしたちと繋がっていてください。主よ、イエスさまの掟を守ることによって、神が栄光をお受けになりますように。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2022年4月24日 教会総会   橋本いずみ)