2022年6月12日 主日礼拝

《 互いに足を洗い合う 

ヨハネによる福音書  13:12〜20

さて、イエスは、弟子たちの足を洗ってしまうと、上着を着て、再び席について言われた。「わたしがあなたがたにしたことが分かるか。あなたがたは、わたしを『先生』とか『主』とか呼ぶ。そのように言うのは、正しい。わたしはそうである。ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。はっきり言っておく。僕は主人にはまさらず、遣わされた者は遣わした者にまさりはしない。このことが分かり、そのとおりに実行するなら、幸いである。     (ヨハネ13:12-17)

イエスさまの弟子は、皆、イエスさまに足を洗っていただきました。すっかり、イエスさまによってきれいにしていただきました。イエスさまがしてくださったことが、お手本になります。イエスさまは、すっかり弟子たちの足を洗い終えると、「あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない」(15節)とおっしゃいました。

イエスさまに足を洗ってもらわずして、イエスさまの弟子になることはできないように、互いに足を洗い合うことなしには、イエスさまの弟子であり続けることはできません。互いに足を洗い合うということが、キリストに結ばれている共同体での責任です。

イエスさまは、弟子たちの責任について語る時にまず、「あなたがたは、わたしがあなたがたにしたことがわかるか」と尋ねられました。イエスさまがしてくださったことを思い起こして、弟子たちは、責任を果たすようになっていくのです。

イエスさまは、弟子たちの足を洗っている時に、「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい」とおっしゃいました。洗礼を受けたものは、神のものとして、清められ、聖別されています。主は、すべての人の、すべての罪を担う神の小羊となり、十字架にかかってくださいました。この恵みの中に立つものたちに、イエスさまがしてくださったことを思い出し、その交わりの中で責任を果たすようにと「互いに足をあらい合わなければならない」とおっしゃしました。交わりの中で生きる時、互いに仕え合い、赦し合い、重荷を担い、正しい道へと導き、助ける機会があります。そして、それぞれが、悪に対する守りとなり、悔い改めをうながすものとなり、赦しを与えるものとなり、恵みの中にたち続ける支えとなります。

わたしたちの主であり、師であるイエスさまが足を洗ってくださっただからこそ、互いに足を洗い合うこの責任を担います。イエスさまは、わたしのために膝をかがめられました。この姿が、わたしたちのお手本です。

わたしたちは、どんなにがんばっても、イエスさまより偉大にはなれませんし、そうなる必要はありません。イエスさまに足を洗ってもらったものたちの前で、膝をかがめて互いに足を洗い合うことで、今、思っている以上に、もっとイエスさまが偉大な方だと、分かることになるでしょう。わたしたちは、膝をかがめて小さくなって、イエスさまの偉大さを仰ぎ見、主の御名をほめたたえます。

《祈り》父、子、聖霊なる主なる神さま。聖霊の導きの中で、イエス・キリストがなしてくださった出来事を思い起こし、あなたの聖なる御名をほめたたえます。イエスさまがわたしの足を洗ってくださったことをもっとはっきりと分からせてください。そして、イエスさまが言われたとおりに互いに足を洗い合うことができるようにしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

(2022年6月12日 橋本いずみ)