《 わたしのパンを食べているものが 》
ヨハネによる福音書13:21〜30
イエスはこう話し終えると、心を騒がせ、断言された。「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」弟子たちは、だれについて言っておられるのか察しかねて、顔を見合わせた。…その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、それは誰のことですか」というと、イエスは「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」と答えられた。それからパン切れを浸して取り、イスカリオテの子ユダにお与えになった。ユダがパン切れを受け取ると、サタンが彼の中に入った。そこでイエスは「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」と彼に言われた。座に着いていた者はだれも、なぜユダにこう言われたのか分からなかった。…ユダはパン切れを取ると、すぐ出て行った。夜であった。(ヨハネ13:21-30)
イエスさまは動揺して「あなたがたの中の一人がわたしを引き渡す」とおっしゃいました。弟子たちも、この言葉を聞いて戸惑いました。弟子たちの中に、裏切るものがいるということは、イエスさまからすれば、最初から分かっていたことでした。「わたしは、どのような人を選び出したか分かっている」(18節)と告げているとおりです。弟子の一人が裏切るのは、聖書の言葉の実現し、事が起こった時に「わたしはある」ということを信じるようになるためです(19節)。
イエスさまは、選び出した弟子たちのこと、裏切るユダのことも、離れていくペトロのことも、十字架のもとまで来る愛弟子のことも、知っていました。彼らの見ているものも、しようとしていることも、イエスさまには分かっていました。弟子たちが、今、選ばれて主イエスとともにあることは、天地創造の前からのものです(エフェソ1:4)。今、選ばれた者たちを、聖なる者とし、汚れのない者にするための時、ご自分が十字架へと引き渡される時がやってきたことを知って、「しようとしていることを、今すぐにしなさい」と言われます。
イエスさまがパン切れを渡すことが合図となって、サタンが入り込み、彼は、主のもとを立ち去っていきました。イエスさまは、大勢の座っている人たちに、パンを分け与えられ、「わたしが命のパンである」(ヨハネ6章)とおっしゃいました。
裏切り、反逆するものがいて、選ばれた者たちは、聖書の言葉が、ただの言葉ではなくて、事を成し遂げる力ある言葉であり、イエスさまこそが「わたしはある」ということを信じるようになっていくのです。「わたしはある」(出エジプト3:14)というのは、イエスさまがきのうも今日もまた永遠に変わることなく、生きて働いている神であるということです。
聖書に証されている神は、聖書の時代の昔の神さまではありません。神は、イエス・キリストによってご自身を明らかにし、主イエス・キリストは、今も生きて働いておられ、弁護者なる聖霊をお与えくださっています。ユダの中に、サタンが入るのをお許しになったイエスさまは、闇の力と戦い、勝利を治めるために、十字架にあげられます。
《祈り》
天の父なる神さま。イエス・キリストによって、天地創造の前にわたしたちを選び分ち、この時代、このところに、あなたが生まれ出させ、あなたを父とお慕いし、御名をほめたたえる群れの一員としてくださったことに感謝をいたします。あなたは、御子イエス・キリストによって、この世を支配する闇の力に勝利されました。悪の力から私たちを守ってください。
今、世界を統べ治めておられるキリストの力をわたしたちに与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。 (2022年6月26日 橋本いずみ)