2022年7月10日 主日礼拝説教

《 主よ、どこに行かれるのですか 

ヨハネによる福音書13:36〜38

シモン・ペトロがイエスに言った。「主よ、どこへ行かれるのですか」イエスが答えられた。「わたしの行く所に、あなたは今ついて来ることはできないが、後でついて来ることになる」ペトロは言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら命を捨てます。」イエスは答えられた。「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」                       (ヨハネ13:36-38)

 「『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今あなたがたにも同じことを言っておく。」イエスさまが、ユダヤ人たちにも、弟子たちにも、ついていけない所に行こうとしていることを知ったペトロは、「主よ、どこへ行かれるのですか」と尋ねています。

イエスさまが行く所、後でペトロを始め弟子たちが行く所は、父のもと(14:1-3)なのですが、弟子たちを父のもとに迎えるためには、どうしてもしなければならないことがありました。一粒の麦が地に落ちて死ぬこと、イエスさまが弟子たちをこの上なく愛しぬかれ、命をささげてくださる十字架の出来事です。

ペトロには、このとき、もうすでに、主に命を捧げる準備と決意、主への献身の思いがありました。ペトロには、どこまでも主に従っていくことができるという自信がありました。ペトロには、自分は全てを捨てて主に従っているという誇りがありました(1コリント13:1−3)。しかし、この自信と誇りでは、主の後に従うことはできないことをご存知で「わたしのために命を捨てると言うのか。はっきり言っておく。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」とペトロに言われました。

イエスさまは、ペトロが「知らない」と言うことだけでなく、「後でついて来ることになる」とも告げておられます。そして、十字架にかかって死に、よみがえられた主は、ペトロが、ついて行くことができる道を開いてくださいました(ヨハネ21:15-19)。

復活のイエスさまが、ペトロに聞いたことは、ただ一つ「わたしを愛しているか」ということです。そして、ペトロは繰り返し「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存知です」と答えます。

主に従い、父のもとへと至る道は、私たちの自信や誇りで開かれるものではありません。ただ主が、十字架と復活によって開いてくださいました。主は、今日も、わたしたちを父なる神さまのもとへとわたしたちを導くために、働いてくださっています。

《祈り》

天の父なる神さま。主イエス・キリストによって、あなたに近づくことが許されていることを感謝します。わたしたちは、あなたを愛し、あなたに忠実でありたいと願いますが、それがどれほどのものかわかりません。けれども、今、確かに、分かることがあります。それは、あなたが、御子をお与えになるほどに、わたしたちを愛してくださっているということと、イエスさまが命をささげてくださって今のわたしたちがあることです。主の憐れみによって、主に従う道を歩ませてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2022年7月10日 橋本いずみ)