2023年3月26日 主日礼拝説教

《 一人の人が全体の身代わりになる 

ヨハネによる福音書 18:12〜14

そこで一隊の兵士と千人隊長、およびユダヤ人の下役たちは、イエスを捕らえて縛り、まず、アンナスのところへ連れて行った。彼が、その年の大祭司カイアファのしゅうとだったからである。一人の人間が民の代わりに死ぬほうが好都合だと、ユダヤ人たちに助言したのは、このカイアファであった。

(ヨハネ18:12−14)

わたしたちは、誰の益になることを考えているでしょうか?誰の都合のいいように生きているでしょうか?誰が得するように生活しているでしょうか?自分、家族、夫や妻、友だち、イエス・キリスト、職場、学校、教会、国、いろいろな答えがあると思います。

大祭司カイアファは、「一人の人間が民の代わりに民の益となる(好都合だ)」と考えました。一人の人が身代わりになれば良い、しかも、それはユダヤ人たちと相談済みであったというのですから、恐ろしいと思います。

カイアファが大祭司でありましたが、ここで、しゅうとアンナスの名前が出てきています。実権は、アンナスが握っていたのかもしれません。そして、彼らには、恐れていることがあったのです。「このままにしておけば、皆が彼(イエス)を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう」(ヨハネ11:48)。彼らは、自分たちの場所である神殿と自分たちが支配している民、が滅ぼされること、自分たちを信頼するのではなくてイエス・キリストをしんらいするようになることを恐れていたのです。「民の利益になる」と言っている大祭司は、結局は、自分が持っているものを失うことを恐れて、イエスを捕らえて縛って、連れていいました。

イエスさまが縛られているのと、同じように、ラザロは、墓に葬られていまして、縛られていました(11:44)。この縛られていたラザロは、イエスさまが「解いてやっ

て、行かせなさい」とおっしゃるのです。イエスさまは、ここで、彼らに捕らえられます。なんとかして捕えようと思っている人に、捕らえられてくださる。わたしたちの手中に収めることなどできないお方であるにもかかわらず、主イエス・キリストは、神の子とされる人たちのために、捕らえられ、あえて縛られてくださるのです。彼らが捕えようとしても、捕らえることはできませんでした(7:30)。

 主が捕らえられて、縛られるのは、カイアファは、自分が握っているものが奪われることを恐れて、「民のために好都合だ」と言ったからではありません。彼が恐れに支配されて意図したことに反して、イエスさまは、民だけでなく、神の子たちを集めるために、死んでくださるのです(11:52)。神の御子イエス・キリストの死によって、神の栄光が現され、神の子たちが集められるところにゆたかな実りを現してくださいます。(12:24)

《祈り》 

十字架の主イエス・キリストの父なる神さま。カイアファと同じように、私たちも口では他者の益、公共の益となるように申しますけれども、心の奥深くまで主が覗かれるのならば、そこにはこれまで築き上げてきたものが崩れるのではないかという恐れがあります。主よ、わたしたちを憐んでください。御子は、わたしたちの救いのために捕らえられました。多くの実りをもたらすために、命をささげてくださいました。自らの手中に目を注ぐのではなく、主を見上げて歩ませてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2023/3/26橋本いずみ)