10月16日主日礼拝説教

《 目からうろこ 》
使徒言行録 9:1~19a
さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意
気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あて
の手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出した
ら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためで
あった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたと
き、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地
に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか」と呼
びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言
うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエ
スである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべき
ことが知らされる。」 (使徒言行録9:1~6)
私は、パウロの言葉の中に「傲慢な響き」を感じる時が
あります。では、パウロは「回心」を経てキリスト教徒になっ
てからも、傲慢で打ち砕かれる事がなかったのでしょうか。
迫害者サウロは、ユダヤ教徒の先頭に立って迫害に走
っていました。大祭司に求めた手紙(キリスト教徒を引っ
張ってくる許可書・逮捕状に相当する添書)を携えてダマ
スコに向っていました。 ところが、目指すダマスコ近くま
で来た時、突然天からの光に打ち倒されてしまい、光が
彼の周りを照らし、イエス様の声が聞こえたのです。『サウ
ル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか』。突然の出来事
に、サウロは、ただならぬ声・自分の上に君臨する方の声
だと悟ったのではないか、と思われます。サウロは驚いて
『主よ、あなたはどなたですか』と問いました。 すると、私
はあなたが迫害しているイエスであると主がご自身を顕
され、サウロを既にご自身の僕として扱い、これからサウ
ロがなすべき事の指示を与えておられます。サウロはショ
ックの余り地に倒れ、崩れ落ちてしまいました。だからでし
ょうか。彼が起き上がった時には、目が見えなくなってしま
っていました。 彼は、今までの生活を全否定された思い
で、この三日間を過ごしたと思われます。今までの自信に
満ちた迫害者先頭の立場・ファリサイ派の律法学者の立
場・そういう自分が立っていた土台がグラグラと揺すぶら
れて崩れ落ちてしまったのです。

上からの指示は、ダマスコに行ってアナニアを待てというこ
とでした。アナニア自身も、自分に示された主の言葉を受け
容れるには主の導きが必要でした。主はご自身のご計画を
アナニアに語られ、アナニアは主の言葉を受け容れる事が
出来ました。そこで起きたのはアナニアに与えられた「信仰
の言葉」です。サウロを受け容れた言葉を発することが出来
ました。私たちも、このような「信仰の言葉」は、どうすれば発
することが出来るのでしょうか。
さて、アナニアがサウロのもとに行き、サウロの上に手を置
き主のご計画を語ると、『たちまち目からうろこのようなもの
が落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を
起こして洗礼を受け、 食事をして元気を取り戻した。』(18
節 19 節)というのです。 目からうろこのような物が落ちた。
そして、見えるようになったというのです。こうして彼は、迫害
者サウロから後に伝道者パウロと呼ばれるように変えられ
ました。元通り見えるようになったばかりではありません。洗
礼を受けて、食事をとって元気を取り戻したと言います。
しかし、サウロは、回心して伝道者パウロになりましたが、
傲慢な響きがする言葉を発している時があります。しかし、
それをパウロ自身苦しんでいます。正直に告白している記
事があります(ローマ7章)。
ただしかし、その都度悔い改めているのです。復活の主に
首根っこをつかまれて方向転換し、主の方に向き直ること
ができたからです。「御霊が呻きをもってとりなして下さる」
(ローマ8:26)とパウロが告白している通りです。
パウロの回心は、『自分が』積極的に回心したのではあり
ませんでした。私たちの回心も同様です。信仰の言葉も主
の導きによるのです。私たちは、ただただ主の御業に期待し
ようではありませんか。

(2022年10月16日 市川 和恵)