2023年5月21日 主日礼拝

《イエスの言葉が成就するため

ヨハネによる福音書 18:28〜32

人々は、イエスをカイアファのところから総督官邸に連れていった。明け方であった。しかし、彼らは自分では官邸に入らなかった。汚れないで過越の食事をするためである。そこで、ピラトが彼らのところへ出てきて、「どういう罪でこの男を訴えるのか」と言った。彼らは答えて、「この男が悪いことをしていなかったら、あなたに引き渡しはしなかったでしょう」と言った。ピラトが、「あなたたちが引き取って、自分たちの律法に従って裁け」と言うと、ユダヤ人たちは「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」と言った。それはご自分がどのような死を遂げるかを示そうとして、イエスの言われた言葉が実現するためであった。

(ヨハネ18:28-32)

わたしたちは、十字架の主イエス・キリストを仰ぎ見て、礼拝をささげています。イエス・キリストのしるしは、十字架です。わたしたちの主は、十字架で死なれた方です。

主がこのような死に方をするということは、イエスさまが語っていた言葉(12:32-33)が実現するためでした。

イエスさまは、大祭司カイアファのところから、ローマの総督ピラトのもとへと連れて行かれました。ピラトのもとで裁かれたからこそ、主は、十字架にかけられることになりました。もしユダヤ人たちが、彼らに与えられた律法に従って、裁いたのであれば、主イエスは石打ちの刑にされたはずです。しかし、主は、石打ちの刑ではなく、十字架で死にます。そこで、「あげられる」ことと「引き渡される」ことが起こります。

信じる者たちの救いのために、人の子は、上げられなければならないと主は語っておられました。(ヨハネ3:14)かつて。神の民イスラエルは、約束の地へと向かう旅の中で、神さまに逆らいました。神さまが、イスラエルを助け出してくださったというのに、「わたしたちを死なせるためですか」と言いました。そして、主な

る神さまによって送られた蛇にかまれて、多くの民が死にました。彼らは、水がなくて死んだのでも、食べ物がなくて死んだのでもなかった。彼らは、神に反抗し、敵対して死んだのです。そのような中で、罪を告白し、蛇が取り除かれることを求めたものに、主は、命を得て生きる道を教えてくださいました(民数記21:4-9)。罪を犯したものたちが、青銅の蛇を見上げて、命をたように、人の子があげられることによって、信じるものたちは、命を得るようになるのです。

イエスさまは、異なる力の支配領域に引き渡されます。それは、神が与える神であるということが、表される出来事でした。神は、世の救いのために御子をお与えになるのです(ヨハネ3:16)。

イエスさまは、ユダヤ人たちに、身を任せますが、それは神に敵対しているものたちの思い通りに進んだのではなく、イエス・キリストが語っておられた言葉が成就するためになされていたことでした。

《祈り》

十字架の主イエス・キリストの父なる神さま。十字架の主によって、滅びの道からわたしたちを救い出し、命を与えてくださることを感謝したします。主が、死をもって、死を打ち滅ぼし、命の道を開いてくださいました。十字架の主を仰ぎ見て、賛美をささげます。どうか、あなたの救いの御業を仰ぎ見ることによって、救われる者たちを起こしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2023/5/21 橋本いずみ)