2024年9月22日 主日礼拝説教

《 神の約束と誓い 》

創世記 15:1~6

ヘブライ人への手紙 6:13~20

見よ、主の言葉があった。「その者が跡を継ぐのではなく、あなたから生まれる者が跡を継ぐ。」主は彼を外に連れ出して言われた。「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみるがよい。」そして言われた。「あなたの子孫はこのようになる。」アブラムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。     (創世記15:1-6)

神は約束されたものを受け継ぐ人々に、ご自分の計画が変わらないものであることを、いっそうはっきり示したいと考え、それを誓いによって保証なさったのです。それは、目指す希望を持ち続けようとして世を逃れてきたわたしたちが、二つの不変の事柄に関して、神が偽ることはありえません。わたしたちが持っているこの希望は、魂にとって頼りになる、安定した錨のようなものであり、また、至聖所の垂れ幕の内側に入っていくものなのです。イエスは、わたしたちのために先駆者としてそこへ入って行き、永遠にメルキゼデクと同じような大祭司となられたのです。                        (ヘブライ6:13-20)

神さまの約束と誓いは、揺るぎないものです。神さまは、約束を忘れません。神さまは、偽らず、誓ったことは守ってくださいます。人は、信仰と忍耐をもって、神の約束と誓いが真実であるということを知っていきます。

信仰と忍耐の模範として、最も有名なのが、アブラハムです。主なる神さまは、アブラムに祝福を約束し(創12:1-3)、「あなたの子孫にこの土地を与える」(創12:7)と約束されました。神さまはその約束を成就しようと働いておられますが、アブラムにはそのことがわかりません。そのような中で主なる神さまは、もう一度アブラムに呼びかけて、「あなたから生まれるものが、跡を継ぐ」「天を仰いで数えることができるのであれば数えてみるがよい。」「あなたの子孫はこのようになる」と約束を与えます。(創15.5)そして、約束の子イサクが与えられた後、「わたしは自らにかけて誓う」と再度、約束を告げられます(創22:16-17)。

神さまの祝福の約束は、最初にアブラハムが語りかけられた時から変わっていないのですが、イサクの誕生までも、25年という長い時間が必要でした。「大いなる国民にする」という約束も、成就されることになりますが、この約束の成就をアブラハム自身は生きている間に見ることができませんでした。

私たちは、神さまの約束の成就をすぐに見たいと願うかもしれませんし、この目で見たいと願うかもしれません。すぐに、その約束の先駆けを見られなかったとしても、神さまは、約束を忘れたりはしていませんし、誓ったことを必ず守ってくださいます。かならず、神さまが祝福の約束を成就されるという希望は、わたしたちの魂にとって、錨のようなものであると言われています。嵐の中で、船は大きく揺れようとも、錨を下ろしていれば、船は大丈夫です。この錨が壊れることや綱が切れてしまうということはありません。イエス・キリストが大祭司として、至聖所(神との親しい交わり)の中に入って行かれたからです。大祭司であるイエス・キリストにしっかりと結びついた綱が、天から地上に向かって伸びている綱が、神さまの約束と誓いとわたしたちをしっかりと繋ぎ止めています。

【祈り】

まことの大祭司イエス・キリストの父なる神さま、あなたが今日も祝福の約束と誓いを実現しようと働いていてくださることを、信じ感謝します。あなたは、必ず約束を守ってくださいます。偽ることなく、誓いを果たされます。主よ、どうか、あなたの約束の実現を、忍耐をもって待ち望むことができるように、聖霊によって励ましていてください。あなたがアブラハムに繰り返し、その約束を語ってくださったように、わたしたちにも、主の祝福の約束を思い出させてください。主の御名によって祈ります。アーメン。            (2024年9月22日 橋本いずみ)