2025年11月30日 主日礼拝説教

《 お言葉どおりこの身になりますように 》

ルカによる福音書 1:26~45

天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。…神にできないことは、何一つない。」マリアは言った「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。…主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方はなんと幸いでしょう。」(ルカ1:35,37-38, 45)

教会の暦で待降節になりました。今日から、教会の暦では新しい一年が始まり、ときが変わります。恵みを受け取り、主が救いを実現してくださることを、日に日に味わうときがやってきました。

御子イエス・キリストの御降誕によって、ときが変わりました。御子の御降誕から、世界は、主の年(西暦)として新しい時を数えるようになりました。主が御支配くださるときを一年また一年と数えています。

天使ガブリエルは、マリアを訪れ、「おめでとう、恵まれた方、主があなたと共におられる」と言います。この挨拶が、マリアを戸惑わせます。「主が共におられる」というのは、大変力強い励まし言葉だと思いますが、この言葉が語られたモーセはなんで自分が導かないといけないのか、と主に問い(出エジプト3章)、エレミヤは、若者に過ぎないと言います(エレミヤ1章)。「主があなたと共にいる」というのは、救いの歴史の中で、自分にはできそうもない使命が託されるときに告げられて来た言葉だからです。

戸惑うマリアに、天使は、主イエス・キリストの誕生を知らせました。マリアは、ヨセフと婚約中でありましたので、男の子を産むということは、びっくりするようなことではなかったはずです。1-2年のうちには、そういうことがあるだろうと思っていたはずです。

しかし、マリアが産む男の子は、いと高き方の子で永遠にヤコブの家治める方だというのが、びっくりなのです。マリアは「どうやって、そのことが起こるのか?」と聞きます。

ナザレというガリラヤの町のマリアという女性を用いて、救い主をこの世にお与えになる。天使は「聖霊が降るから。いと高き方の力があなたを覆うから。」と答えます。マリアは、神がなさるんだと告げられたとき、神の力と支配を信じて、このわたしが、神の民の救いのために用いられるということを受け入れました。

マリアを用いた神さまは、今も、救いをもたらすために、人を用いられます。救いは神のなされることですが、神は、人を救う時に、人を用いられます。マリアは、そのことを受け入れて「わたしは主のはしためです」という。マリアは、贖われ、主の支配を生きるようになりました。マリアは、主に告げられた言葉が実現されていくことを、身をもって味わっていくことになります。

エリサベトは、このマリアに、主がおっしゃったことは、必ず実現すると信じる幸いを見たのでした。

《祈り》

天の父なる神さま。主イエス・キリストが、罪の支配から、わたしたちを贖い出し、聖霊の導きの中におき、あなたの大いなる力で覆うとおっしゃいました。あなたの恵みの支配に導かれたわたしたちです。お言葉の通りに、わたしになさってください。自らのうちから、人の救いとなるものが生み出されていくとは、思えませんが、ただあなたの恵みによって、あなたが私たちを救いの歴史の中で用いてくださると信じます。主が、わたしの人生を、また教会の歩みを、世界の歴史を、祝福をもって治めてください。わたしたちを主の御名によって祈ります。アーメン。

(2025年11月30日アドヴェント第一主日 橋本いずみ)