《 私たちの本国は天国にある 》
フィリピの信徒への手紙 3:12〜4:1
しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。(フィリピ3:20)
先週の主日礼拝では、御子のご降誕を祝い礼拝をささげました。博士たちの喜び、確かな導の中にある喜びについて、説教の中で触れました。クリスマスは、終わりの時の幕開け。神の救いの歴史の最終章の幕開けです。クリスマスの出来事は、繰り返し、喜びを告げます。
今日読んだ聖書の箇所は、フィリピの信徒への手紙です。「喜びの手紙」と呼ばれることもあります。繰り返し、「喜び」、「喜べ」と語られるからです。喜びは、終わりの時の救いの出来事の先取りの第一の方法。喜び、先取りに対する神の、神の使者たちの反応です。
クリスマスの喜びを思い起こしつつ、パウロとテモテからフィリピの信徒たちへ書き送られた手紙に声を合わせて、今日は御言葉を共に聞きたいと思います。
パウロは、「兄弟たち、皆一緒にわたしに倣うものになりなさい」と告げ、キリストが切り開いてくださった道の未だ途上にあるものとして、神ご自身を追い求めるということにおいて、天の国に生きるものとして、「わたしに倣うものになりなさい」とパウロは語りました。
十字架に敵対するものたち。決して、悪人や出来損ないではありません。この世のことだけを見て、考えて、キリストを必要としない人たちのことです。理想の自分が本当の自分で、肉に制限されている自分は本来の自分ではなく、理想の自分を、心に思い描いて、それが本当の自分だと考えました。神は、肉に制限されている「わたし」に注目しておられて、確かに、罪にさらされている滅ぶべき卑しい体なのですが、その体をキリストは、ご自分の栄光ある体
と同じ形に変えてくださるのです。まことの神であられる御子イエス・キリストは、体をもった人として生きてくださいました。
キリストが、来られるときに、わたしたちを満たしてくださる。あなたの体が置かれているところを、神の栄光の現れるところとしてくださいます。神は、わたしたちを愛して、キリストにおいてわたしたちをお選びになりました。(エフェソ 1:4)私たちはキリストにおいて満たされていくように造られており、キリストにおいて、満たされていくところに、わたしたちの喜びがある。
パウロは、「愛する人たち」と呼んだ。愛されている人たち。パウロが愛しているという意味にとどまらず、神に愛され、キリストによる愛が注がれている人たち。神の愛を受け取ることができる場は、教会しかない、礼拝しかないとわたしは思っています。
主によってしっかりと立ちなさい。「主の中にたつ」「恵みの中に」「信仰の中に」「福音の中に立つ」。フィリピの人たちは、パウロの喜びであり、冠でした。わたしにとっては、西宮一麦教会とここで出会った一人一人が、主イエスキリストが来られるとき(前で)、希望、喜び、誇るべき冠(テサロニケ2:19)です。
《祈り》
神さまが、与えてくださった命の中で、愛すべき人たちに出会えたこと。愛し愛される人たちに出会えたこと、感謝に絶えません。
この口をもって、主の御名をほめたたえることができることをありがとうございます。わたしたちの人生のあらゆる場面に、十字架の主が伴ってくださいました。どうか、主が救い主と再び来てくださるのを待ち望みつつ、喜びのうちを生きることができるようにしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2025年12月28日 橋本いずみ)

