2025年9月14日 主日礼拝説教

《 神に喜ばれるように 》

ヘブライ人への手紙12:18~29

しかし、あなたがたが近づいたのは、シオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、無数の天使たちの祝いの集まり、天に登録されている長子たちの集会、すべての人の審判者である神、完全なものとされた正しい人たちの霊、新しい契約の仲介者イエス、そしてアベルの血よりも立派に語る注がれた血です。あなたがたは、語っている方を拒むことがないように気をつけなさい。…このように、わたしたちは揺り動かされることのない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。実に、わたしたちの神は、焼き尽くす火です。(ヘブライ12:22-25、28-29)

御子イエス・キリストによって神の国を受け継ぐものとされている。だから、感謝しよう!感謝によって、神に喜ばれるように仕えよう!

神さまは焼き尽くす火。まったく神のものとされる。わたしをわたしとして愛し尽くしてくださる神。神のものである、神に愛されている者である。神に愛された「わたし」「わたしたち」として、与えられた人生を生きる。悩ましい人生―苦しいことがある、悲しいこともある、嫌だなと思うことや、モヤっとすることだってある。傷つくことも、傷つけてしまうこともある。

私たちは、シオンの山、神の都へに向かう道を歩いています。足を引き摺りながら歩くような、この道を誰と歩きますか?イエスさまが切り開いて歩いてくださった道。イエスさまに招かれた者たちと歩く。

宝塚の修道院で行われた7月に牧師のための献身修養会に参加した。十字架の道行を歩いた。聖書の御言葉と祈りが記されたものを手がかりに、歩いて行った。それぞれのペースで歩く、時に同じところに立ち止まり、追い越し、追い越され、早い人もいれば、遅い人もいる。皆が、同じところを目指して、同じ道を歩く。

神は、焼き尽くす火。まったく聖なるものとされる。近づけば死んでしまうがゆえに、神に近づき得なかったところへとキリストゆえに私たちを招かれる。

自分の人生を生きる。神に与えられた命を、主イエス・キリストによって贖われた命として、感謝して生きる。そこにわたしらしい輝きがあり、神の栄光が輝き出る。

神の国に近づいている。引きずる足を持って、この道を歩く。決して楽ではないけど、喜びがある。

御子イエス・キリスト共に、神の国を受け継ぐものとされている。

わたしたちの手元に何にも残らなくてもいい。御国を受け継ぐものとされた。その神は、この世の歩みにおいても、毎日を養ってくださる。だから安心して、悩み、悲しみ、どん底を経験できる。そこで、わたしたちの救いのために地を流してくださったイエスさまの叫びを聞く。

 敬虔さと恐れをもって、神に喜ばれるように仕えていこう。あなたは、神に喜ばれて、ここにいるし。神に喜ばれるように、生きていけるし、あなたの喜ばれるように仕えることができる。

《祈り》

天の父なる神さま。あなたがわたしたちの命を喜んでいてくださることをありがとうございます。御子イエスさまが、わたしたちの命を意味ある命とするために、贖いをなしとげてくださいました。畏れつつも、感謝をもって与えられた命を用いさせてください。主イエス・キリストの御名によってお祈りします。アーメン。

     (2025年9月14日 橋本いずみ)