《霊の火を灯し続けよう》
テサロニケの信徒への手紙一 5:12~24
橋本先生とのお別れ会から、まだ一週間しか経っていない日曜日の朝。真摯に御言葉を取り次いで下さり、祈りの交わりを分かち合って下さった先生と、福音によって立てられる体験を積んできた皆さんであれば、まだ寂しさの中におられるかとお察しします。加えて30日の引継ぎの際知りましたのは、これまでどの牧師の代替わりの時も、前任から後任へと直接の橋渡しができたので、代務を迎えるのは実は初めてということでありました。この教会は、今、これまで体験したことのない体制で歩みを進めようとしている訳です。教会員の中には不安もあるかと存じます。近所の教会の牧師による手伝いでちゃんと礼拝は守れるか。教会の交わりは恵みに満ちたものとして保てるか。率直に申しますと、私にも不安はあります。充分にお役に立てるだろうかは、蓋を開けてみないと本当には判らない。もう若手とは言えない歳で、代務も三度しましたが、どの教会にも家風があり、絶妙に担うべきものの異なる体験もしてきました。だから今回の代務も初めてその任に着くような気持ちで着くことが大事だとは思ってお
ります。
ただ今朝申したいのは、そうした時だからこそ、目線の中心は人の世の揺らぎに捕われないようにしよう、ということです。実際のところ、教会の命運を握っておられる本当の主、教会の頭は常に主イエス・キリストだからです。牧師も教会員も、この方に救われたからこそ毎週ここに集ってくるのであり、この方に仕えるためにここにいるのです。そこはちっとも変っていないのです。それ故、教会にとって本当に大事なもの、それはもうはっきりしているのです。それは、キリストとの関りを失わないことです。何か大それたことなどする必要はありません。私たちの王にして大牧者であるイエス・キリストの恵みを見つめつつ、主から託された使命をこつこつと為し続けていくということです。
使徒パウロは言いました。「いつも喜んでいなさい。」これは福音によって喜んで生きていよという事です。「絶えず祈りなさい。」これは神様と対話を失うなということです。神様との交わりを忘れると、信仰を見失い人生に迷いだすからです。そして「どんなことにも感謝しない。」これは自分も教会も、実はただ神の恵みによって立てて頂いている存在なのであり、己の誇りや力によって立っているのではないということをしっかり覚え、それ故に感謝していなさいということです。
教会は、ただ神の恩寵によって立てられてきたのだし、これからもそうやって立てられていくものです。その御業は留まらないし、今この時も留まっていない、だからそのことに根差していなさいというのです。
キリストの福音に根差しているために、大事なことが書かれています。霊の火を消さない、ということです。信仰の火と言い換えても良いでしょう。キリストに根ざしているというアイデ
ンティティーを見失わないことです。そのために必要なことについて、パウロは「預言を重んじなさい」と続けます。これはこの時代の使徒たちの預言、つまり説教のことです。説教とし
て告げられる主のみ言葉に基づいて世界を見つめ、吟味し、悪を退けつつ、歩み続けていく。私たちの務めは、これまでと同じなのです。そして、その務めの力は神ご自身が与えて下さることを、神ご自身が約束してくださっておられます。世にある限り波も風も立ちます。しかしとこしえに立ち続けるのは主のみ言葉です。そのみ言葉に推し出される者としてこの年も進んでいきましょう。
(2026年1月4日高橋 爾)

