<キリストのいやし>
マルコ2章1〜11節
今朝は、日本キリスト教団の聖書日課として与えられている聖書箇所から神様のメッセージを聴きます。今日のマルコ福音書2章1〜11節には、イエスさまが中風の人の病を癒やし、罪を赦された出来事が記されています。この出来事が起こったのは、イスラエルの北の方のカファルナウムという場所です。
ここはイスラエルの北側に位置していて、エルサレムのような宗教的な中心地ではなく、人々の日常生活が繰り広げられる場所です。この、人々の日常の場に、イエスさまは近づいて来られ、奇跡を行われます。それはイエスさまから人々の日常に近づいてくださっているということです。イエスさまはエルサレム神殿にいて人々から礼拝され崇められるのを待っているのではなく、イエスさま自ら人々の生活の場へと出掛けてくださり、人々のそば近くに来てくださるお方だということがわかります。
そして、今日記されている中風の人は、イエスさまの時代には、罪のゆえに病を得ていると考えられ、人々からも遠ざけられるような存在でした。この病人を4人の男たちがイエスさまの元へ連れてきました。イエスさまのもとには大勢の人が癒しの奇跡や神様のみ言葉を求めて集っていますので、彼らは近づくことができません。そこで、屋根に穴を開けて、上から中風の人を吊り下ろして、イエスさまの元へ送り出しました。そしてイエスさまは中風の人を連れてきた4人の男たちの信仰を見て、中風の人に向かって「子よ、あなたの罪は赦される」と救いを宣言されました。そしてさらには、中風の人の病を癒やし、歩いて床を担いで帰るほどに完全な癒しをお与えになりました。
イエスさまは、この4人の男たちのどのような信仰を見て、中風の人の癒しの奇跡を行われたのでしょうか。それは、「近さ」故だと思います。4人の男たちは、中風の人がまるで自分の肉親であるかのように親身になって、必死になって彼をイエスさまのもとに連れてきます。そしてこの4人の男たちの心は中風の人の心と近くにありました。この人を見過ごしにはできない、癒やされてほしいから近くに行かずにはおれない。そんな思いでイエスさまのところに彼を連れてきたのです。そして4人の男たちの思いは、イエスさまにも大胆に近づいていくものでした。イエスさまなら必ず癒やしてくださるという確信。そしてなりふり構わずイエスさまの元へ飛び込んでいく、その「近さ」をイエスさまは喜ばれたのだと思います。
イエスさまはこの時すでに律法学者などの宗教的指導者たちの偽善的な行いを見つめ、立ち返ってほしいと願っておられました。当時の指導者たちは、人々からとても離れていて、人々に寄り添うことができないのでした。指導的な立場になると保身の思いが出てきます。支えるよりも支えてもらうことで自分の価値を見出します。そして、罪のゆえに病気になったと考えられるような人々には決して近づかなかったと思います。自分の手は汚さない。この、距離の遠さ、離れている様を、イエスさまは悲しまれますし、逆に、4人の男たちのように、愛ゆえに近づかずにはおれない、そういう近さを身に帯びている人たちの思いに、イエスさまも応えずにはおれない。そんなイエスさまの姿が描かれています。悲しみの中で、抱き合って涙を流せる近さ、喜びの中で手を合わせハイタッチをしながら目を合わせて微笑む近さ。それがイエスさまのお与えくださる救いの中身です。
今日、この救いが私たちの元へ届けられています。イエスさまに近づきたい、そんな思いを抱いて礼拝に集った私たちのすぐ近くに、イエスさまは共にいてくださいます。
藤川綾子牧師(奈良高畑教会)

