マルコによる福音書 8:27~33
イエス様と弟子たちは旅を続けています。この旅はイエス様と弟子たちにとって特別な旅となります。なぜならイエス様が弟子たちにとってはあまりに衝撃的なイエス様の使命につ
いてお語りになる旅だからです。
イエス様はこの大切な使命を打ち明ける前に、弟子たちとの距離を縮めようとなさいます。それは「私を何者だと思うか?」との問いから始まります。最初イエス様は、「人々は、わたしのことを何者だと言っているか?」と弟子たちにお尋ねになります。人がどう思っているかという質問は答えやすい質問です。自分自身を脇に置いて答えることができるからです。弟子たちは口々に答えることができました。 その答えを聞いてイエス様は「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」と尋ねます。「あなたは?」と一人一人に迫る質問です。答えるには勇気がいる質問ですが、すかさずペトロは答えます。「あなたは、メシアです。」と。イエスさまはこのペトロのまっすぐな答えを喜ばれたと思います。それは正しい答えを口にしたから、という以上に、ペトロなりに今この時、真剣に、できる限りの言葉で答えたからです。この後ペトロは十字架を前に逃げ去りますから、この時のペトロの信仰告白は、まだ言葉だけのものであり、行動が伴わない、言葉と行動がかけ離れている状態です。それでもイエス様は喜ばれたと思います。そして、ご自分のことを今は誰にも話さないようにと弟子たちに告げました。
そしてイエス様は弟子たちに死と復活を予告されます。想像を絶する神様のご計画に弟子たちは圧倒されます。そしてその言葉の真実が見えないので、ペトロはイエス様をいさめます。先ほどの信仰告白とは真逆の行動です。言葉ではメシアだと言いつつも、そのメシアが預言したことを否定する。ですから、イエス様に、あなたは神のことを思わず、人間のことを思っていると叱られてしまいます。しかも、この後ペトロは十字架を前にイエス様を裏切り逃げ去りますから、徹底的に先ほどの信仰告白とは真逆の方向へ向かっていくことになります。
このようなペトロの、言葉と行動がかけ離れてしまう姿を見ると、ペトロのあの言葉は嘘だったのか?と思ってしまいます。しかし、信仰はこういった言葉と行動がかけ離れてしまうよう
なところから始まるものなのではないでしょうか。言葉が先にあって、最初は言葉と行動がかけ離れてしまうことを自覚し、もがき苦しむ。しかし、だんだんに行動が言葉に近づいていく、それがイエス様に近づいていく信仰のプロセスなのです。
ペトロはイエス様が復活して昇天されたのちには、福音を力強く述べ伝えます。伝承によれば、逆さ十字架で処刑されたとありますから、最後には言葉と行動が一致していくのです。
このペトロの、信仰の言葉と行動が初めはかけ離れつつも、次第に一致していく姿を見るときに、大切なものが見えてきます。それは、それでもなおペトロの心は、いつもイエス様のお心の半径1メートル以内にあったということです。言葉と行動が一致しない、しかし心はいつもイエス様に向かっていました。
私たちは、今、イエスさまとどのくらいの距離を歩んでいるでしょうか?言葉と行動が一致しない自分に、絶望する必要はありません。大切なのは、今の自分の心が、主の「半径一メートル以内」にあるかどうかです。失敗しても、言葉だけが先走っても、その都度主を見つめ直し、そのお心のそばに留まろうとする。その不器用な歩みの積み重ねの果てに、いつか
私たちの言葉と行動も、主の愛の中で美しく一致していくのだと信じています。
(2026年3月8日 奈良高畑教会 藤川綾子)

