「ここは岩の上」 マタイによる福音書16:13-20
「あなたがたは私を何者だと言うのか。」(15節)とイエス様は、弟子たちにお尋ねになりました。シモン・ペトロが、弟子たちを代表するように答えます。「あなたはメシア、生ける神子です。」(16節)メシアとは、救い主という意味です。ですからペトロのこの答えは、「あなたは、私の救い主です」という信仰告白の言葉です。
この答えを聞いて、イエス様はとても喜ばれます。そして言われます。「わたしも言っておく。あなたはペトロ。わたしはこの岩の上に教会を建てる。」(18節)ペトロとは、岩という意味です。揺るがない、しっかりとした地盤、それが岩です。
一体ペトロという人のどこが岩だと言うのでしょうか。彼は確かに、イエス様の一番弟子です。しかし、決して失敗しない、間違わない人ではないということが、聖書を読んでいるとよくわかります。この場面の直後にも、「サタン、引き下がれ」とイエス様に厳しく叱られています。そして、イエス様が十字架にかかられる時には、「そんな人は知らない」と三度もイエス様との関係を否定しました。ですから、ペトロ自身は決して揺らがない人ではないのです。
けれども、そんなペトロが弟子としての歩みを全うできたのは、「あなたはメシア、生ける神の子です。」というこの告白に、繰り返し立ち返ることができたからです。イエス様こそ私の救い主、この信仰告白の上に、イエス様は教会をお建てになると約束してくださったのです。
ただ、ペトロが自分の口をついて出てきたこの告白の意味を、どれほど理解していたかはわかりません。まだこの時点では、イエス様の復活も十字架も起こっていないのですから。しかしそれでも、イエス様はこの告白を喜ばれました。そして、これは確かだと、揺るぎないと言ってくださいました。それは、この告白がペトロ自身の中から出てきたものではなく、天の神様が示してくださったものだからです。
イエス様は、更に言われます。「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(19節)イエス様は、教会に使命を授けられました。あなたがたが地上で行うことは、確かに天上の出来事と結びつくものになると、イエス様は仰います。教会は、この地上にあって、天と地とをつなぐ存在なのです。教会において、天の門が開けている、そこから天の国が垣間見えるのです。
教会は、陰府の力に負けないとイエス様は仰います。陰府の力とは、罪と死の力です。それは教会が、私たちの罪を十字架上で負われ、死に勝利して復活されたイエス様によって建てられたものだからです。
私たちの目に見えている教会は、小さくて、弱弱しいかもしれません。教会を形づくっている私たち一人一人も、すぐに揺らぐ不確かな存在です。でも、「イエス様こそ私の救い主です」と私たちは繰り返し告白し続けています。それをどれほどわかって告白しているのか、と問われるなら心もとないかもしれません。でも、そんな私たちの実感を超えて、教会は、そこに連なる私たち一人一人は、揺るぎないものとされています。危うく思える私たちの姿の背後に、神様のお心とお働きが確かにあるからです。この世界の有様を見れば、神様から遠く離れているように思えます。また、私たちの歩みも、あまりものささやかで、偉大な神様のお働きと無縁のものに思えます。しかしそれでも、私たちがいるこの地と、神様がおられる天は繋がっている。私たちの小さな営みが、神様のお働きと結びついている。イエス様こそ救い主だと告白する度、私たちは思い起こすのです。

