9月18日 主日礼拝説教

《 あなたがたに、平和があるように 》
ヨハネによる福音書 20:19~29
その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ
人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこ
へ、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和がある
ように」と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになっ
た。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。
「あなた方に平和があるように。父がわたしをお遣わしにな
ったように、わたしもあなたがたを遣わす。」そう言ってから、
彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。だれ
の罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの
罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」
十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが
来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子
たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。
「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなけ
れば、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたし
は決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中
におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったの
に、イエスが来て真ん中に立ち、「あなた方に平和があるよう
に」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指を
ここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸
ばし、私のわき腹に入れなさい。信じないものではなく、信じ
る者になりなさい。」 (ヨハネ20:19~27)
弟子達が集まっていた主の甦りの日の事。弟子達は、ユ
ダヤ人を恐れ家の戸にはしっかと鍵をかけて隠れるように
一つ所に集まっていました。そこに、鍵がかかっていたのに復
活の主が入ってこられました。弟子達は何も出来ず言葉も
出てきません。主は『手と脇をお見せになっ』て二度も重ね
て『あなたがたに平和があるように』(19.21 節)と言われま
した。そして弟子達に力を与え、息を吹きかけ聖霊を与え、伝
道に遣わされました。主の弟子たちの再創造です。
しかし、そこに、疑い深いトマスがいませんでした。他の弟
子から主に出会ったと聴いたのに、トマスは「あの方の手に
釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、、、、信じな
い」(25節)と言い放ちました。

その日から8日目、前回トマスがいない時に主がおいで下
さった時と同じ場面の様です。今回はトマスもいました。場面も
主の祝福の言葉も同じでしたが、違う事もありました。弟子た
ちは、主が再び来て下さると信じて期待し待っていたのです。
礼拝の姿です。主も最初は、ご自身の手とわき腹をお見せに
なっただけ。しかし、二度目は『トマスに言われた。「あなたの
指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を
伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信
じる者になりなさい。』(27 節)と懇ろにトマスを導いて下さい
ました。このように主の導きの仕方は人によって違います。
疑い深いトマスの口から『わたしの主、わたしの神よ』(28
節)との信仰の告白の言葉が出てきました。主の導き、憐れ
み・主のみ業です。トマスの信仰告白でありながら、主のご愛
が語らせた信仰の告白です。そうです。信仰は、主が与え主が
導いて下さった信仰です。トマスはこうして信じる者とせられま
した。
本日の聖書の御言葉は、復活祭の翌週のこと。教会では、
主のご復活の日に受洗希望者が与えられると、試問会を経て
「洗礼式」が行われます。罪の赦しの洗礼がご復活の日に為
されるのは、弟子達が経験した本日の出来事を『追体験』し
てきたのです。
しかし、こうして与えられた平安ですが、すぐに平安から離れ
てしまう現実があります。そんな時、苦闘していた M・ルターは、
『追体験』としての洗礼の幸いを語ります。聖霊なる神さまの
お導きを証ししています。ここに、確かな平和があります。私た
ちの不安・苦闘のただ中にも御霊なる神として復活の主が入
り、声をかけて下さっています。『あなたがたに平和があるよう
に。安かれ。』と。
(2022年9月18日 市川和恵)