《 最初のしるし 》
ヨハネによる福音書 2:1~12
三日目に、ガリラヤのカナで婚礼が合って、イエスの母がそこにいた。イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。…イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。召し使いたちは運んで行った。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。このぶどう酒がどこから来たのか、水を汲んだ召し使いは知っていたが、世話役は知らなかったので、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておかれました。」イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。それで、弟子たちはイエスを信じた。
(ヨハネによる福音書 1:45〜51)
ガリラヤのカナ
主イエスは、ガリラヤに行こうとしておられました(1.43)がその目的は婚礼であったようです。婚礼に向かうその途中に弟子たちを招かれました。
三日目に
洗礼者ヨハネの証は、三日間に及び(1.19-35)、主イエスは弟子たち一夜を過ごし、さらにその翌日(1.43-51)に弟子が招かれました。その三日目のことです。これで、7日間が数えられました。ここから、天地創造が7日間で行われたように(創世記1.1-2.3)歴史が始まったように、ここから新しい歴史が刻まれていきます。
最初のしるし
主イエスの最初のしるしは、結婚式でのことでした。そこには、「この人には、特別な力がある」と期待をもっている主イエスの母と、主イエスの弟子たちがいます。水がぶどう酒に変わる奇跡を見て信じるようになりました。婚礼には、多くの人が集まっていたに違い
ありませんが、そこで、主イエスが神の御子として生きて働いておられることに気づいた人は、弟子たちと召使いだけです。婚礼を取り仕切っているはずの世話人や花婿は知らず、他の婚礼の客の多くも知らないのです。
栄光を現された
主イエスが、なされた御業に気づけた人はごくわずかであり、大々的に主イエスが讃美されたわけでもありません。しかし、主イエスは確かに婚礼で、最初のしるしを行われたのです。喜びの宴のために、主は仕えておられました。
最初のしるし(2.11)、2回目のしるし(4.54)の奇跡の間に、イエスの体であり建て直される神殿(2.18、21)水と霊による上からの誕生(3.3、5)聖なる場所に限定されない霊と真理における礼拝の時(4.21-24)が宣言され、洗礼者ヨハネの証は完結します(3.22-30、5.36)
主イエスがなされる奇跡が福音書には、幾つも記されています。主イエスが驚くべきことをなされるのは、それを見た人たちの利益や好奇心を満足させるためではありません(6.26)。主イエスのなされることを見たものたちが、驚きつつ「イエスは神の子メシアであると信じるようになるためであり、また信じてイエスの名により命を受けるため」(20.30-31)です。
《祈り》
わたしたちの主イエス・キリストの父なる神さま。あなたが尽きることない恵みを御子と聖霊によって私たちに注いでくださること感謝します。今も生きて働いておられる主の御業を仰ぎ見させてください。信仰をもってあなたがなされることを受け止めることができるようにしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。
(2020年8月16日 橋本いずみ)