2020年8月9日主日礼拝説教

《 主イエスの弟子④ まことのイスラエル人ナタナエル 》

ヨハネによる福音書   1:43~51

フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それは、ナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」するとナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と言ったので、フィリポは「来て、見なさい」と言った。イエスはナタナエルがご自分の方へ歩いてくるのを見て、彼のことをこう言われた。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」ナタナエルが「どうしてわたしを知っておられるのですか」と言うと、イエスは答えて「わたしはフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」と言われた。ナタナエルは答えた。「ラビ、あなたは神の子です。あなたはイスラエルの王です。」イエスは答えて言われた。「いちじくの木の下にあなたがいるのを見たと言ったので、信じるのか。もっと偉大なことをあなたは見ることになる。」さらに言われた。「はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上を昇り降りするのを、あなたは見ることになる」(ヨハネによる福音書 1:45〜51)

来て見なさい

主イエスに出会っていただいたフィリポは、ナタナエルと出会い、主イエスとの出会いを語ります。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それは、ナザレの人で、ヨセフの子、イエスだ」と。そして、「来て、見なさい」ととてもシンプルな言葉でナタナエルを主イエスの方へと招きました。

猜疑心から信仰へ

ナタナエルの信仰は、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」とのつまずきと猜疑心から始まりました。彼の知識では、ナザレが救い主の故郷になるとは思

えなかったのです。救いを期待できないところでありました。しかし、疑いながらも、ナタナエルは主イエスの方へと近づいて行きました。

どうしてナザレからキリストが生まれるのか理解できず、猜疑心にとらわれて、現れたナタナエルを主イエスは「まことのイスラエル人である。この人には偽りがない」と言われました。神のなさり方を受け止められていないナタナエルの姿を主イエスは偽りがないと見られたのです。神さまがこの世を救い、わたしたちを救われる方法は、わたしたちには、捉えがたいものです。しかし、主は、神さまのなさり方を受け止めきれていなくても、それでも、主イエスに近づいていく者を「偽りがない」「まことのイスラエル人(Ⅰコリント11.22)」と言って受け入れ、さらに偉大なことを見させてくださいます。

まことのイスラエル人はイスラエルの王に従う

ナタナエルは、主イエスが自分を受け入れてくださったことを知り、「イスラエルの王」と告白します。確かに、主イエスはイスラエルの王として、十字架にかかり、神と人との和解を成し遂げ、救いを与えてくださいます。わたしたちは、「ホサナ。主の名によって来られる方に祝福があるように、イスラエルの王に」と叫びます。(ヨハネ12.13)

《祈り》 

平和の主イエス・キリストの父なる神さま。あなたのなさり方を理解できず、疑いと猜疑心にとらわれているわたしたちの真実の姿をご覧ください。主よ、わたしたちを憐れみ、わたしたちのまことの王でいてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2020年8月9日 橋本いずみ)