2020年9月13日主日礼拝説教

 《 天から降り、天に上る

ヨハネによる福音書 3:1~21

はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは信じるものが皆、人の子によって永遠の命を得るためである。

(ヨハネによる福音書 3:11〜15)

 

新しく生まれるという奇跡

主イエスが、ニコデモとの対話の中で話されたことは、地上で起こることでした。「人は新たに生まれなければ」「だれでも水と霊によって生まれなければ」とおっしゃったことは、この地上で起こることです。

主イエスは、この地上にあって神がともにおられることをしるしを通して明らかにされました。主イエスの行われたしるしが「奇跡」であるのと同じように、人が水と霊とによって新しく生まれることは、「奇跡」です。それは、事実として起こることですが、捉え切ることができません。

そして、新しく生まれ変わった者は、天から降り、十字架にかけられることによって天へと挙げられた「人の子」に起こった奇跡を仰ぎ見、そのお方によって永遠の命をいただくのです。

 

天から降り、天に上る人の子

人が新しく生まれ変わるということは、人の子が天から降り、天へと挙げられることによってのみ可能となったことです。十字架に架けられ、それとともに天に挙げられた人の子だけがわたしたちが永遠の命の得ることのできる根拠です。

「人の子」とは、主イエス・キリストのことです。闇の世に光をもたらすために、この世に遣わされ、この地上で歩んでくださった神の御子です。

青銅の蛇

イスラエルの民は、エジプトを脱出して約束の地を目指して旅立ちました。荒れ野を40年彷徨いました。その中で、神は救いの真実を示してくださいました。イスラエルの民は、神に愛され、救い出されたにも関わらず、不平を言い、主を信じませんでした(民数記20.1-13)。そして、アロンは、死にます(民数記20.22-29)。さらに、民は、神とモーセに逆らい、蛇が送られ、イスラエルの民は、死に定められました。蛇に噛まれたものは皆、死に定められていましたが、命を得る道を神は与えてくださいました。それはただ、旗竿の先に掲げられた青銅の蛇を見ることによってでした。

かつてのイスラエルの民は、神が示された見るべきものを見ることによって、命を得たのです。

命を得るために見るべきもの

わたしたちが命を得るために見るべきものは、わたしたちの罪深さや、心の動きではありません。ときに自分を内省することは大事ですけれども、それが命を与えてくれるわけではありません。わたしたちは、十字架の主イエスを見上げます。十字架の主イエスから、わたしたちは永遠の命をいただきます。

《祈り》 

十字架の主イエス・キリストの父なる神さま。聖なる御名を賛美します。わたしたちに、この地上にあっても、天においても、命を与えることができるお方は、あなたしかおられません。滅ぶべき自分を見ることをやめ、命を与えてくださる十字架の主を見上げます。主よ、私たちを新しくしてください。神とともに永遠に生きる道を主イエスが開いてくださったことを覚えて、その道を歩ませてください。

主の御名によって祈ります。アーメン。

(2020年 9月13日 橋本いずみ)