2021年2月7日 主日礼拝説教

《 愛する子に自分の行ないを見せる 

ヨハネによる福音書   5:19〜30

そこで、イエスは彼らに言われた。「はっきり言っておく。子は、父のなさることを見なければ、自分からは何事もできない。父がなさることはなんでも、子もそのとおりにする。父は子を愛して、ご自分のなさることをすべて子に示されるからである。またこれらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も与えたいと思うものに命を与える。また父は誰をも裁かず、裁きは一切子に任せておられる。すべての人が父を敬うように、子をも敬うようになるためである。子を敬わないものは、子をお遣わしになった父をも敬わない。はっきり言っておく。わたしの言葉を聞いて、わたしをお遣わしになった方を信じる者は、永遠の命を得、また、裁かれることなく、死から命へ移っている。はっきり言っておく。死んだ者が神の子の声を聞く時が来る。今やその時である。その声を聞いた者は生きる。父は、ご自身の内に命を持っておられるように、子にも自分のうちに命を持つようにしてくださったからである。  (ヨハネ5:19-30)

天地を創造された神さまとわたしたちの主イエス・キリストは、父と子の関係です。互いに別の人格を持ちながら、決して切り離すことができない関係の中にあり、同じ目的のために、共に働いておられました。神は、御子イエス・キリストを通してわたしたちに働きかけ、御子イエス・キリストは、創造主にして全能の神と同じ働きに仕えておられます。

「はっきり言っておく」という言葉が繰り返されています。(19,24,25節)。ここには、決して聞き漏らしてはならないことが、語られています。安息日の病人の癒しから、主イエス・キリストはわたしたちの目を父なる神さまと主イエス・キリストの関係へと向けさせます。

神さまだけが持っている権能、それは、命を与えることです(イザヤ26.19、ダニエル12.2)。それゆえに、

神は重んじられ、時に恐れられつつも、敬われます。神さまは、この権能を御子イエス・キリストにお与えになられました。父は、死者を復活させ命を与え、裁きを行う権能をイエス・キリストに委ねておられるのです。

わたしたちの命は、キリストの御手の内にあります。わたしたちを生かすことも、滅ぼすことも、おできになる方に対して、わたしたちは、どうするのか。御子イエス・キリストの言葉を聞いて、信じる者は、この世にあって永遠の命を与えられて、生きることができます。

御子を通して、創造主である神を知り、神を信じるようになったものは、いずれ行われる裁きの結果、どんな判決が下されるのだろうかと、心配する必要はありません。

この世で生きていても、神の前では死んでいるものがおり(25節)、この世で死んでも生きるものがいます(11.25)。

 「わたしをお遣わしになった方の御心とは、私に与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである」(6.39,40)

《祈り》すべての命を創造された父なる神さま。主イエス・キリストを通して、あなたの御心を教えてくださり、感謝します。わたしたちは、自分の小さな殻に閉じこもり、あなたがわたしたちを滅ぼそうと考えておられると思い込んでいました。今日、主イエス・キリストを通して、わたしたちに命を与え、わたしたちを生かそうと働いていてくださるあなたの働きに感謝します。主イエス・キリストへの感謝と畏れをもって生きるものとしてください。主の御名によって祈ります。アーメン。

(2021年2月7日 橋本いずみ)