2021年7月4日 主日礼拝説教

《 どこから来て、どこに行くのか 

ヨハネによる福音書7:25-31

そこで、イエスは言われた。「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても見つけることができない。わたしのいるところにあなたたちは来ることができない」すると、ユダヤ人たちが互いに言った。「わたしたちが見つけることができないとは、いったいどこへ行くつもりだろう。ギリシア人の間に離散しているユダヤ人たちのところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか。『あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることができない』と彼は言ったが、その言葉はどういう意味なのか」 (ヨハネ7:28-31)

主イエス・キリストを捜していますか?見つけることができましたか?捕らえることができましたか?

イエスさまを捕らえるためにやってきた人たちに、「あなたたちは、わたしを捜しても見つけることができない。わたしのいるところにあなたたちは来ることができない」とおっしゃられました。神の御子は、神から遣わされて、神のところに帰って行きます。 

わたしたちは、イエス・キリストが、神のもとからこの世へと遣わされて、十字架の死と復活を経て、天へ帰られ、今、天において私たちのために執り成してくださっていると聖書を通して教えられ、そのように信じています。

イエスさまは、ユダヤ人たちに言ったのと同じように、弟子たちにも言われます(ヨハネ13:33)。イエスさまの行くところに、行くことはできないと言います。イエスさまを殺そうとしているユダヤ人たちも、「子たちよ」と呼びかけていただいている弟子たちも、行くことができないのは、同じなのですが、イエスさまは、弟子たちには、「互いに愛し合いなさい」と新しい掟をお与えになりました。そして、「こうしてわたしのいるところに、あなたがたもいることになる」(14:1-3)と約束されています。イエスさまが、天に帰られたように、イエスさまがおられるところに、いつか必ず迎え入れると、約束されています。

イエスさまを捜している人たちが、イエスさまを捕らえていく先は、十字架です。私たちがキリストを捉えることができるただ一つのポイントは、十字架です。

「何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられたからです」(フィリピ3:12)とパウロも言っています。わたしたちは、イエス・キリストを見つけて、捕らえたいと捜しています。わたしたちがイエス・キリストを捜しているのは、すでにキリストがわたしたちを捕らえてくださっているからです。キリストによって、捕らえられて、ここにおります。

イエスさまは、「探しなさい、そうすれば、見つかる」と約束してくださっています。探し続けなさい。イエスさまは、探しても決して見つからない方ではなく、いつかは、わたしたちが神によって今はっきり知られているように、はっきり知る者としてくださいます。

【祈り】

主イエス・キリストの父なる神さま。わたしたちは、この世にあってあなたを探してここに辿り着きました。今、あなたがわたしたちを深く知り、捕らえていてくださることを感謝します。どうしたら、あなたを、そしてあなたが生きて働いておられることを、見つけることができるでしょうか。互いに愛し合うことをイエスさまが教えてくださいました。ここに、あなたを見つけることのできるヒントがあるのだと信じます。どうか新しい掟のとおりにやってみる力を与えてください。主の御名によってお祈りします。

アーメン。(2021年7月4日 橋本 いずみ )